イノベーションと政府の役割

2022年4月号

宇南山 卓 (うなやま たかし)

京都大学経済研究所 教授

現在の日本では、これまでになくイノベーションが求められている。低成長が続くなかでのコロナ禍という難局に加え、脱炭素社会という国際公約、ウクライナ情勢によるエネルギー不足と課題は山積している。イノベーションによって、こうした状況を「非連続に」解決することへの期待が高まっている。
政府は2020年に「科学技術基本法」を「科学技術・イノベーション基本法」に改称し、これまでの「科学技術の振興」から一歩踏み込んで「イノベーションの創出」を重視する方向に舵を切った。重要なポイントは、科学技術そのものだけではなく、結果としての「社会の変化」を創出することに政府がコミットすることを宣言した点である。
新しい基本法では、イノベーションを「科学的な発見又は発明、新商品又は新役務の開発その他の創造的活動を通じて新たな価値を生み出し、これを普及することにより、経済社会の大きな変化」を創出することと定義している。これは、イノベーション研究の祖とも言える経済学者シュンペーターの定義と一致している。シュンペーターは、イノベーションによって誕生する新製品が旧来の製品・技術を市場から退出させることで、経済の構造が刷新されると指摘した。この新旧の交代過程を「創造的破壊」とよび、経済成長の源泉とした。
この指摘で重要なのは、イノベーションが企業同士の新陳代謝として達成されることである。もともと書籍の通販サイトであったAmazonは、既存の「本屋」という業態を置き換えることで大きく成長した。また、スマートフォンの誕生は、携帯電話市場はもちろんパソコン市場の一部まで取り込むことで新たな社会基盤となった。言い換えれば、イノベーションは「創造」だけでなく「破壊」のプロセスを含むものなのである。
このイノベーションのプロセスは常に有益無害というわけではない。企業が生み出す新製品は旧製品よりも利益が出やすければ良く、社会的な観点から旧製品より優れている必要はない。何が「創造」され何が「破壊」されるか次第では、イノベーション後の社会がより望ましくなるとは限らないのである。
たとえば、発泡酒や「第3のビール」とよばれるカテゴリーの飲料がある。酒税法上等での「ビール」には麦芽の使用量や副原料に厳密な規定がある一方、(2018年の酒税法改正で差は縮小しているが)酒税が高く設定されていた。その税制上の制限を回避して節税をしながら、ビールに類似したテイストを出したのが「ビール風飲料」である。誕生以来シェアを順調に伸ばしており、ビールに匹敵するほどの流通量となっている。多額の研究開発費用を投入することで誕生した商品であり、科学技術の力で社会を変えたという意味で「成功したイノベーション」である。しかし、達成されたのはビールの再発明であり、一連のプロセスで「破壊」されたのは酒税という「政府の取り分」にすぎない。
こうした社会的に意義の乏しいイノベーションを回避するには政府の役割が重要になる。少なくとも、税制や規制など政府の活動が、企業のインセンティブをゆがませていないかを常に検証する必要がある。麦芽なしでビールのテイストが出せるようになる「技術の進歩」に合わせて制度も変わっていくべきであった。
しかし、それ以上に重要なのは、科学技術の発展がもたらす社会の変化を冷静に評価する姿勢である。創造的破壊とはある独占的な地位にある企業が別の独占的な企業に置き換えられる過程であり、メリットとデメリットがある。イノベーションには既存の社会を「破壊」する側面があることを認識しつつ、保守的に判断を誤れば既得権益を維持し社会を停滞させることも意識しなければならない。
そもそも新旧企業の利害は必ず対立するため、政治的な判断が不可避的である。その意味では、イノベーションの創出を無条件で促進することは決して中立な立場ではない。政府には、社会全体の利益を考えた審判役を期待したい。

著者プロフィール

宇南山 卓 (うなやま たかし)

京都大学経済研究所 教授