~コモンズの今日的な意味を求めて~(第2回)

コモンズを巡る旅(第2回)

2022年7月

酒巻 弘 (さかまき ひろし)

一般財団法人日本経済研究所 専務理事

1. 前回の振り返りと次のコモンズへ

前回(『日経研月報』2022年5月号)は英国に残されているコモンズ(共有地)の例として大都市近郊にあるウィンブルドン・コモンを紹介した。その事例からは、封建制の時代から現代まで社会の変化とともにコモンズを利用する人々の立場も利用の目的も変わり(生活物資などを獲得する場から、散策や市民の交流の場への変化)、またそれに伴って管理のされ方も変わってきた(領主-領民関係から管理者-管理委託者関係へ)ことを見た。
今回紹介するのは実はコモンズという場そのものではなく、かつて英国のコモンズがどのようなものであったかを教えてくれる歴史的文書だ。その文書とは「マグナ・カルタ(The Great Charter)(注1)」である。マグナ・カルタは英国において法の支配や司法権の独立といった民主主義の成立の出発点になったと考えられており、世界の民主主義にとって重要な文書である。それに加え、同時期に合意されたもう一つの文書である「森林(注2)憲章(The Charter of the Forest)(注3)」と合わせて、英国のコモンズにおけるその利活用と管理に関するルールのベースとなった重要な文書でもあった(「マグナ・カルタ」と「森林憲章」の二つの憲章(charter)を合わせて以下では二つの憲章、という)。

2. 英国で出会ったコモンズ②~二つの憲章とラニーミード

(1)二つの憲章の歴史(注4)

まず簡単にマグナ・カルタの歴史を振り返ろう。英国の歴史上大きな転換点となった1066年のノルマン王朝成立から150年。まず1215年にラニーミード(注5)でこの歴史的文書が合意された。マグナ・カルタは実はその後一旦破棄され、2年後の1217年にロンドンのセントポール寺院において改訂版のマグナ・カルタと、もう一つの重要な文書である森林憲章が合意された。マグナ・カルタが王政の監視、公正な裁判制度、そして課税に関するルールなど民主主義の基盤となるような人々の基本的権利を規定し、森林憲章では王室領における人々の日々の生活に関わる権利について規定している。

(2)コモンズにおける慣習的権利を文書化した二つの憲章

ノルマン王朝以前の英国では共有地(コモンズ)は当時の人々の生活に必要な物資を得るための貴重な自然資源であった。この共有地を活用する権利について、人々は先祖代々引き継いだ、ある意味で当たり前の権利として受け止めていたものと考えられる。しかしながらその権利は文書化されたものではなく、あくまでも慣習に基づいており、そのため力のある者からの圧力に対して脆弱であった。そこにノルマン王朝が出現した。この征服王朝の国王たちは、二つの憲章が合意された13世紀の初め頃までには英国の3分の1の土地を王室領とし、御料林は狩り場となった。その御料林で許可を得ずに狩りをした者は厳罰に処せられた。そのような状況に不満をもった人々が、王家に対抗する勢力と協力して譲歩を迫った。その結果合意された二つの憲章では、コモンズにおいて人々が代々引き継いできた元々の権利(注6)を認めさせ、さらにルール違反をした場合の罰についても罰金や1年以内の投獄にまで緩めた。逆に国王はその権利と引き換えに課税権を得た。このように慣習的権利が文書化されたことは、ある意味で異文化・勢力同士が衝突した後、相互に妥協しつつも合意に達した大きな成果であった。そして文書化されたことにより、英国全体にこのルールが広められることにもなった。

(3)文書化したルールを普及・定着させる工夫

これらの文書を長期間に亘って保存することに加え、普及および定着させるうえで教会に期待された役割は大きかったようだ。というのも、文字が読めない人が多かった中世の時代、教会という組織にこれら文書が配布され、クリスマスやイースターなど春夏秋冬年4回の行事の際に教会においてこれら文書を読み上げることが求められていたからだ。ダラム大聖堂を始めとした大聖堂にこれらの文書が残されている理由でもある。合意されたとはいえ、そのルールを一般に広めて定着させるには、相当の継続的努力が必要であった。

(4)コモンズにおける権利と義務:相互にメリットがある協力関係

次に当時の人々の生活にとってコモンズが実際にどれほど重要な資源であったのかをみていこう。中でも重要な権利は当時の主要な熱源であった薪などを採取する権利だ。さらに、コモンズで家畜を放牧する権利である「放牧権」、川や湖沼で魚を獲る権利である「漁業権」(通常割当量が設定)、そして森に落ちているドングリなどを豚に自由に食べさせる権利などがある。また、粘土は池の周りを固め、壺などの陶器や、家の壁を作るのにも利用されるなど重要な資源であり、粘土を採取するのも重要な権利だった(注7)。これらコモンズでの権利を得るために人々はしばしば労働を提供した。また、間伐材を採取することは森林の管理にもなり、双方にとってメリットがあった。他方で所有者は二つの憲章の規定により私有権の行使を制限されることになった。たとえば所有者は、利用者からの事前承諾や補償なくしてはコモンズを売却、または商業化する権利を行使できない。以上のようにコモンズにおいて資源の持続的な利活用および管理をすることを目的として、その所有者と利用者の権利と義務を規定し、ある意味では双方にとって利益となる協力関係が構築された。

(5)「森林憲章」のその後:受け継がれたもの、受け継がれなかったもの

森林憲章は1971年の法律「Wild Creatures and Forest Laws Act 1971」に引き継がれるまでの間、実に754年という長期に亘って存続し続けた英国法律文書の中でも最も歴史ある文書だともいわれている。しかしながら、前回紹介したウィンブルドン・コモン同様、時代とともにコモンズに対する社会のニーズが変化し、また産業革命期を中心としたコモンズの囲い込みなど商業化の波に抗うことができず、多くの英国のコモンズは、ラニーミードやウィンブルドン・コモンのように従来のコモンズとしての役割を終え、その姿を変えていった。その結果、この新しい法律は純粋に自然保護とその商業的活用を管理することを目的とするものとなり、森林憲章が持つコモンズの管理ルールという当初の直接的な目的を受け継ぐものではなかった。

(6)受け継がれたもの:持続可能な資源管理や女性の権利保護

他方で二つの憲章の規定やその根底にある精神の中には現在にも受け継がれているものがある。まず、森林憲章は自然資源の持続可能な管理を謳った歴史上初めての自然環境法制としても位置付けられる。また、マグナ・カルタでは女性の権利を認めたという点において画期的なものだった(注8)。例えば、夫を亡くした女性が、従来は認められていなかった土地の権利、およびコモンズから薪などを収穫する権利を相続し、自立して生活できるようにすることによって、再婚を拒む権利を抽象的な権利とするのではなく、実行可能なものにする工夫がなされている。

3. ローカルとグローバル、二つのコモンズ

2017年はコモンズにとって記念すべき年であった。というのも、その年は二つの憲章が合意されてからちょうど800年の節目の年であり、ラニーミードでのワークショップやイングランド北東部にあるダラム大聖堂(注9)(ダラム城とともに世界遺産に登録されている)での記念式典など、英国内で森林憲章およびコモンズに関連するイベントが開催された。これらのイベントが開催されたことには、二つの憲章の歴史的な意義に加えて、現在世界が抱えている環境問題などグローバルな課題に対して、コモンズというローカルな共有財産のマネジメントの仕組みから何らかの示唆が得られるのではないか、といった期待もあったようだ(注10)。

4. 次回のコモンズへ

今回は「マグナ・カルタ」と「森林憲章」という二つの歴史的文書を振り返り、①慣習的権利について妥協しつつも合意・文書化すること、②その文書化した規定を普及・浸透させる継続的努力を重ねること、③コモンズを持続的に維持するために所有・管理する立場と利用する立場の協力関係を築くこと、の重要性について確認した。そしてこれらのローカル・コモンズにおける知恵を現代的課題であるグローバル・コモンズの課題にも活かそうという動きについても触れた。他方、コモンズに対する社会的ニーズの変化により、二つの憲章自体は英国全体のコモンズのルールとして受け継がれることはなかった。そんななか、昔ながらのコモンズの利活用と管理の仕方が引き継がれ、現在でも生き続けるコモンズが英国には存在している。次回はそのコモンズ「ニューフォレスト」をご紹介したい。

(参考文献)

『Plunder of the Commons: A Manifesto for Sharing Public Wealth』Guy Standing、Pelican Books、2019

(注1)現存する四つの「マグナ・カルタ(1215年版)」の原本のうちの一つを保存している大英図書館では、ホームページ(https://www.bl.uk/magna-carta)でマグナ・カルタの現代英語訳や解説を公開している。
(注2)「The Charter of the Forest」は「御料林憲章」や「御猟林憲章」と訳されることが多いが、本稿では王室領(御料)か下賜された後の貴族領なのかに拘らず、コモンズという自然資源に焦点を当てるため「森林憲章」とした。また、当憲章が対象とするのは森や林だけでなく、灌木地や草原、場合によっては農地や村などコミュニティ全体が含まれるため、「コモンズ憲章」と呼ぶこともできる。
(注3)英国国立公文書館のホームページ(https://www.nationalarchives.gov.uk/education/resources/magna-carta/charter-forest-1225-westminster/)に森林憲章の現代語訳が公開されている。
(注4)本稿では主に、参考文献に掲載した『Plunder of the Commons: A Manifesto for Sharing Public Wealth』Guy Standing、Pelican Books、2019を参考にした。
(注5)現在も英国女王が居城としているウィンザー城からテムズ川をロンドン方向に10㎞弱下ったところにある大平原。1921年に英国政府がラニーミードを不動産開発のため競売にかけようとしたことに対して反対運動が起こり、最終的にナショナルトラストに寄贈され現在に至っている。ナショナルトラストが管理している土地の広さは約99エーカーで、現在は観光客やピクニックを楽しむ人々に開放されている。ラニーミードのホームページは(https://www.nationaltrust.org.uk/runnymede-and-ankerwycke)。
(注6)1275年、エドワード1世(在位1272~1307年)が従来から存在した(“time immemorial”、太古の昔から存在する)共有地における権利を認めた。その際「従来から存在した」の定義をリチャード1世(在位1189~1199年)の戴冠の年1189年以前とした。
(注7)さらに細かく見ると、門やフェンスそして漁労のための簗を作るためのハシバミ材、ドアや家具・建築材などに使用する木材、燃料としてのピート、その他キノコ、ウサギ、蜂蜜や薬草、ベリー類なども有用な資源だった。
(注8)ただし、マグナ・カルタの54条では女性が男性を訴えることを禁止しており、必ずしも全ての点において男女平等を謳っていたわけではない。
(注9)ダラム大聖堂には当初のバージョンに近い1216年版、1225年版および1300年版の3つのバージョンのマグナ・カルタと、1217年版、1225年版および1300年版の3つのバージョンの森林憲章が保存されている。当憲章に関しては、他にはリンカーン城に1つ原本が残されているのみである。ダラム大聖堂のホームページは(https://www.durhamcathedral.co.uk/heritage/cathedral-library/magna-carta)。
(注10)もとより、地球環境というグローバルな共有財産に関わる課題の論点と、放牧地や森林などローカルな共有財産に関わる課題の論点とでは当然ながら次元が異なる。

著者プロフィール

酒巻 弘 (さかまき ひろし)

一般財団法人日本経済研究所 専務理事

1982年東京大学経済学部卒業後、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)入行。同行にて主に投資関連業務に携わった後、同行グループ金融子会社の社長および会長。その間、留学、国際機関への出向を含め4回、合計12年間欧米に滞在。また、設備投資研究所主任研究員として社会的共通資本について研究し、著書に東京大学出版会の社会的共通資本シリーズ『都市のルネッサンスを求めて』(共著)。2021年6月より(一財)日本経済研究所専務理事。