『日経研月報』特集より

リカレント教育およびリスキリングの促進をめぐる構造的課題の解決に向けて

2022年8月号

田中 茉莉子 (たなか まりこ)

武蔵野大学経済学部経済学科 准教授

1. はじめに

近年、大学や企業の現場において、リカレント教育(社会人の学び直し)やリスキリング(スキルの学び直し)への関心が高まりつつある。2022年5月10日に公表された教育未来創造会議の第一次提言(案)でも、学び直しの促進に向けて、環境整備の重要性が指摘されている。しかし、学び直しの重要性自体は以前から認識されていた。例えば、リカレント教育という概念は、1970年代には既にOECDにより提唱され、スウェーデンやイギリス等各国でさまざまなプログラムが実施されてきた。また、日本企業においては、リスキリングという用語は用いられていなかったものの、OJTや留学等といった形で従業員に対して学び直しの機会が提供されてきた。
なぜ今になって、リカレント教育やリスキリングが注目されるようになってきたのだろうか。その背景には、少子高齢化とIT化、特にコロナ禍で急速に進行しているDX化の流れのなか、企業が人材を十分に育成・活用できておらず、人手不足や人手過剰といった雇用のミスマッチが発生し、生産性を上げられないことに対する危機感がある。
企業の生産活動は、資本、労働、技術を用いて行われるが、このうち、物的資本を増加させることによる成長には限界がある。少子高齢化の下では、女性、高齢者、海外の人材を活用しない限り、労働力の量的な拡大は難しい。また、女性、高齢者、海外の人材を活用するとしても、単に人数を確保すれば解決する問題ではなく、業務に必要な知識・スキルを身につけていることが求められる。さらに、DX化を軸とする技術革新により、経験を積んだ従業員であっても、これまでに習得した知識・スキルだけでは企業を取り巻く環境の変化に対応できなくなりつつある。このことから、労働力の質的な拡大、すなわち人的資本の蓄積と技術水準の向上が喫緊の課題として意識されるようになり、リカレント教育やリスキリングへの関心が高まってきたと考えられる。
本稿では、このように人材育成の重要性が以前から認識され、少子高齢化やDX化の流れのなかでさらに必要性が高まっているにもかかわらず、現状なかなか人的資本の蓄積および技術水準の向上に結びつかないのはなぜか、リカレント教育やリスキリングの促進に向けてどのような構造的課題があるのか、そしてそれらの課題をどのように解決すべきかについて考察する。

2. 学びの機会が人的資本の蓄積と技術水準の向上に及ぼす影響

人的資本は、初等・中等教育をベースに、高等教育、リカレント教育およびリスキリングを通じて蓄積される。就職等で教育の機会から離れると、時間の経過とともに人的資本が減耗し、それまで学んだ知識・スキルでは業務に対応できないことも増えてくる。特に、技術進歩が急速に進む環境では、対応できなくなるスピードも速くなる。そこで、業務に対応できる知識・スキルを身につける、すなわち人的資本を蓄積し、技術を向上させるために、リカレント教育およびリスキリングによる学び直しが必要となる。図1は学びと人的資本および技術水準との関係性のイメージを図示したものである。

ただし、一人ひとりの学び直しの機会に対するニーズは異なるため、一律のリカレント教育・リスキリングの機会を提供しても、必ずしも人的資本・技術水準が向上するとは限らないことに注意が必要である。例えば、発展途上国や一部の先進国では、過去にさまざまな事情で十分に教育を受けられなかった労働者の失業や低所得の問題が存在しており、読み書きや計算等初等教育レベルの学び直しが必要とされている。一方、現在の日本においては、多くの労働者が高等教育を修了しており、より専門的な学び直しが必要とされている。しかし、日本においても、出産、育児、介護等で退職・休職をしていた場合には、再就職や復職のために、まずは基礎的なビジネススキルを身につけることが必要となるケースもある。また、入社以来働き続けてきた従業員にとっても、経済環境の変化に知識・スキルが対応できない場合にはより専門的な学び直しが必要になるとともに、他の部署に異動したり、他業種に転職したりする場合には異動先・転職先で必要となる知識・スキルを基礎から学び直すことが必要となるケースもある。このように、多様な労働者に対して、ニーズに合わない教育機会を提供しても、人的資本や技術の水準を高めることはできない。学び直しと一口に言っても、図2が示すような多様な労働者のニーズを満たすプログラムを提供することで、はじめて人的資本の蓄積や技術水準の向上が可能となる。

3. リカレント教育およびリスキリングをめぐる構造的課題

人材育成の重要性が認識され、少子高齢化やDX化の流れのなかでさらに必要性が高まっているにもかかわらず、現状では人的資本や技術水準の向上に結びついていないのはなぜか。前節の考察を踏まえると、それは、ニーズに合ったリカレント教育・リスキリングの機会が十分に提供されておらず、労働者がこのような教育機会にアクセスできていないからである。ニーズにマッチしたリカレント教育やリスキリングの促進に向けてどのような構造的課題があるのだろうか。本節では、経済主体別に課題を整理する。

(1)労働者

厚生労働省(2020)「能力開発基本調査」によると、正社員の55.0%、正社員以外の35.5%が「仕事が忙しくて自己啓発の余裕がない」、正社員以外の35.3%が「家事・育児が忙しくて自己啓発の余裕がない」と回答している。また、正社員の30.9%、正社員以外の31.5%が「費用がかかりすぎる」と回答している。この調査結果からは、労働者が時間的・金銭的制約により、自発的にリカレント教育やリスキリングの教育機会にアクセスすることが難しいことがわかる。また、適切なコースがわからないという回答もあり、プログラムの内容に関する情報発信や労働者のキャリア選択に課題があることもわかる。

(2)企 業

企業が従業員に対してリカレント教育やリスキリングの機会を提供する場合には、社内で研修を実施するか、従業員による外部の教育機関での受講を支援するかを検討することになる。前者の場合、プログラムを担当する人材の不足が問題となる。例えば、日本では、欧米と異なり、非IT企業に勤務するIT人材が少ないことから、社内でIT関連の人材育成を実施することは困難となる。後者の場合には、どの従業員に対してどのようなプログラムを提供するのかを検討することになるが、プログラムに関する情報提供が大学・大学院の裁量に任されていることから、企業が従業員の特性に合ったプログラムを効率的に選択することが難しいという課題がある。
さらに、プログラムを受講した従業員の知識・スキルを企業のニーズにマッチさせる形でいかにして活用するかも重要である。せっかくコストをかけて知識・スキルを身につけても活かされないのであれば、企業の生産性向上に結びつかず、賃金にも反映されない。プログラムを受講しても待遇が改善されないのであれば、従業員にとっては「費用がかかりすぎる」ということで自発的に参加する意欲が低下し、プログラムを受講しても他社に引き抜かれる可能性が高まる。企業にとっても、知識・スキルを身につけた従業員の待遇は切実な課題といえる。

(3)大 学

従来型の大学・大学院の教育では、職業に直結した教育というよりも、教養教育や学術を重視した専門教育を行ってきたため、教育内容は必ずしも企業のニーズとマッチしていなかった。一方、高等専門学校、専修学校、専門職大学・短期大学、専門職大学院では、職業を重視した実践的な教育が行われており、リカレント教育を効果的に推進できると考えられる。このため、従来型の大学・大学院がカリキュラムにどのようにリカレント教育やリスキリングの要素を組み込むかを検討することが必要となる。加えて、従来の大学・大学院では、高校を卒業して社会に出る前に入学する学生が一般的となっており、いかにして社会人学生にとって学びやすい環境を整備するかが課題であるといえる。

4. 構造的課題の解決に向けた取組み

前節では、労働者、企業、大学の抱える構造的課題について検討したが、課題解決に向けた取組みも既に行われている。本節では、リカレント教育・リスキリングの促進に向けて、前節で挙げた構造的課題をどのように解決すべきかについて現実の取組事例も適宜参照しながら考察する。

(1)労働者

労働者の金銭的制約に対しては、国が受講費用の一部を負担する教育訓練給付金が整備されており、2014年10月には専門的なリカレント教育に対する給付が拡充される等、手厚い支援が行われている。しかし、的場(2018)によると、図5が示すように、学び直し経験者の約1/3が制度の存在を知らない状況にある。前述の労働者の抱える課題に、適切なコースがわからないという回答があったことを踏まえると、セルフ・キャリアドック等従業員に対する定期的なキャリア研修・面談の機会に、従業員にとって必要なプログラムを紹介するとともに支援制度について周知することが有用ではないかと考えられる。
労働者の時間的制約については、塩野義製薬のように、大学院でのリスキリングを想定し、社員が週休3日を選択できる制度を導入している企業も存在する。また、コロナ禍でテレワークやオンライン授業が導入されるようになったこともあり、柔軟な働き方や学び方が普及することで、労働者がリカレント教育およびリスキリングの機会にアクセスしやすくなると考えられる。

(2)企 業

社内研修における人材不足については、個別企業のリスキリングをサポートするサービスが既に提供されている。例えば、一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ(JRI)は、マイクロソフト、ベネッセコーポレーション、オープンクラスルームス等と協力して、2021年より企業のリスキリングを支援するサービスを行っている。具体的には、成功事例の紹介やリスキリングの進め方に関するコンサルティング、社内のリスキリングをリードできる専門人材の育成が活動の柱とされている。このようなサービスにより、企業の人材不足が解消されることが期待される。
リカレント教育やリスキリングの機会を提供する従業員の範囲およびプログラム内容については、企業のニーズによって異なるものとなる。第1に、企業が従業員を生産性の高い部門にシフトさせたい場合には、異動対象となる従業員に対して、必要となる知識・スキルを身につけるためのプログラムを提供することになる。例えば、アマゾン・ドット・コムでは、倉庫作業員を対象に、ソフト開発エンジニアに必要となるスキルを身につけることができる社内研修プログラム機会を提供し、受講後はスキルを活かせる部署に配属している。日本においても、例えば、キヤノンでは、成長の見込まれる医療機器等の分野へ人員をシフトさせるために、年間5,000人に対して、プログラミング言語やセキュリティ等デジタル分野の専門的研修を実施している。また、日本生命保険では、営業活動のデジタル化等に向けて、グループ約3,000人を対象とした研修が行われている。
第2に、企業がシニア層の生産性を高めたい場合には、対象となる従業員がどのような経験を積んできたのかを把握することも重要となる。例えば、Bapna et al.(2013)では、ITサービス企業において、勤続年数の長い社員がドメインタイプの研修(金融、会計、経営関連のコース)と技術タイプの研修(Java等IT関連のコース)のいずれかを受講する場合には業績が向上するものの、両方を同時に受講する場合にはむしろ業績が低下することが示されており、シニア層にリカレント教育を提供する際には、それまでの職歴を考慮することが重要であるといえる。
以上のように、従業員の特性を踏まえて企業のニーズに合ったプログラムを選択し、知識・スキルを身につけた人材を適切な部署に配置することで企業は生産性を高められる。さらに、従業員に対して、身につけた知識・スキルに見合った賃金を提示することで、良質な人材を確保し、企業の将来の生産性を高めることが期待される。

(3)大 学

従来型の大学、大学院においても、既にリカレント教育のプログラムは提供されている。例えば、日本女子大学のリカレント教育課程では、育児・介護休職等を経て復職を希望する女性を対象としたプログラムを提供しており、多くの卒業生が再就職を果たしている。また、東京電機大学の国際化サイバーセキュリティ学特別コースでは、大学で情報セキュリティに関する基礎的な学習を終えた社会人に対してより高度なサイバーセキュリティに関するプログラムを提供している。これらのプログラムは復職希望者や社会人学生を対象としたものであり、企業のニーズを反映しやすいと考えられる。
リカレント教育プログラムに関する情報発信は、各大学・大学院がHP等により自主的に行っており、プログラムを直接比較することは難しい。そこで、文部科学省では、マナパス(https://manapass.jp/)というポータルサイトにおいて、関心のある分野や取得可能な資格等の条件から講座を検索できるサービスを提供している。このようなプログラムを横断的に比較できるサービスは、リカレント教育・リスキリングの促進につながり得る。
なお、文部科学省は、「専修学校リカレント教育総合推進プロジェクト」において、産学連携によるプログラムの開発を専修学校に委託する等の政策を実施している。このようなプロジェクトの成果を共有することで、職業を重視した専修学校等の教育機関においてもリカレント教育が促進されることが期待される。

以上のように、日本では、労働者、企業、大学の自発的な取組みに加えて、産学連携、産官学連携の取組みが活発になりつつある。ただし、OECD(2021)が指摘するように、非正規雇用の従業員、正規雇用でも高齢の従業員、そして中小企業の従業員はリカレント教育を受けにくい環境に置かれている。このようなケースでは、民間の自発的な取組みというよりもむしろ公的な支援が必要になる。例えば、厚生労働省による「就職氷河期世代の方向けの短期資格等習得コース事業」では、就職氷河期世代の方が正社員として就職できるように、業界団体による無料の職業訓練の機会を提供するとともに、就職支援も行っている。このような労働者はリカレント教育やリスキリングに関する情報へのアクセスがそもそも難しいため、情報面での支援も重要になると推察される。
民間の自発的な取組みを社会全体の学び直しの促進に繋げるためにも、政府には、労働者や企業のニーズと適切な学び直しのプログラムとのマッチングを円滑化させる情報提供機能の強化、そのような民間サービスに対する支援、そして民間の学び直しの意欲に対して継続的な働きかけを行うことが望まれる。

謝 辞

本稿執筆に際し、福田慎一教授(東京大学)より多くの貴重なコメントをいただき感謝申し上げる。

参考文献

Bapna, Ravi, Nishtha Langer, Amit Mehra, Ram Gopal, Alok Gupta(2013) ‘Human Capital Investments and Employee Performance: An Analysis of IT Services Industry,’ Management Science Vol.59(3), pp.641-658
https://doi.org/10.1287/mnsc.1120.1586
OECD(2021) ‘Creating Responsive Adult Learning Opportunities in Japan,’ OECD Publishing, Paris
田中茉莉子(2020)「リカレント教育の経済への影響」日本労働研究雑誌 721(8月) pp.51-62
田中茉莉子(2021)「ウィズコロナ・ポストコロナ時代のリカレント教育」日経研月報(512) 10-17
田中茉莉子(2022)「雇用不安とリカレント教育―コロナ禍で顕在化した雇用ミスマッチの緩和」『コロナ時代の日本経済―パンデミックが突きつけた構造的課題』(福田慎一編)第5章、東京大学出版会
的場康子(2018)「「学び直し」のための教育訓練給付制度の活用状況」第一生命経済研レポート

著者プロフィール

田中 茉莉子 (たなか まりこ)

武蔵野大学経済学部経済学科 准教授

1982年東京都生まれ。2005年東京大学経済学部卒業。2010年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、博士(経済学)。明海大学経済学部講師、武蔵野大学経済学部経済学科講師などを経て、2018年度より現職。専門分野は、マクロ経済学、金融、国際金融。主要著書・論文は、「雇用不安とリカレント教育 ―コロナ禍で顕在化した雇用ミスマッチの緩和」(福田慎一編『コロナ時代の日本経済―パンデミックが突きつけた構造的課題』所収,東京大学出版会,2022)、「暗号資産をめぐる貨幣経済理論の動向」(福田慎一編『技術進歩と日本経済』所収,東京大学出版会,2020)、「これからの「人材の活躍強化」―リカレント教育に関する分析」(福田慎一編『検証 アベノミクス「新三本の矢」』所収,東京大学出版会,2018)、「リカレント教育を通じた人的資本の蓄積」(経済分析,2017)“Currency Exchange in an Open-Economy Random Search Model”(the B.E. Journal of Theoretical Economics, 2016)、“Endogenous Fluctuations in a Three-Period OLG Model with Credit Market Imperfection”(Economics Bulletin, 2013)など。