『日経研月報』特集より

日本社会の「変え方」を変える ~ソーシャル・イノベーションへの期待~

2022年4月号

〈対談者〉 米倉 誠一郎 (よねくら せいいちろう)

クリエイティブ・レスポンス -ソーシャル・イノベーション・スクール 学長

〈対談者〉 井上 英之 (いのうえ ひでゆき)

「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」 共同発起人

〈対談者〉 井上 有紀 (いのうえ ゆき)

「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」 共同発起人

〈聞き手・文章〉 蛭間 芳樹 (ひるま よしき)

株式会社日本政策投資銀行産業調査部・サステナブルソリューション部ほか 調査役

1990年代後半に世界中で起こった社会起業やソーシャル・イノベーションのムーブメント。その動力源は、「ビジネスの力を社会課題解決や社会変化に活かすことができないか?」という意志や情熱だった。日本でも、NPOやNGOの台頭はもとより、ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)による既存の公助を補完・代替する主体が次々と登場した。また、当時の産業界では、CSRと称されていた社会的な責任を果たす慈善的な活動が期待されていたが、近年のSDGsやESGでは、ステークホルダー資本主義とも称されるように、本業や事業そのものが社会課題解決に能動的に貢献することを求められるようになった。
しかし、実際のところは、社会の複雑性が増し、因果関係が不明瞭であることに加え、デジタル技術が良くも悪くも社会全体のリズムや情報流通のスピードを上げているため、さまざまな混乱が生じている。また、変革の向かう先が、極端な価値観や社会正義である場合も散見され、なかには自国主義・保護主義・「〇〇ファースト」と称される利己中心的な考えが支持を得る場合もある。その結果として、かつてないほどの分断や格差が生じており、それらはコロナ危機を経て、悪い方へと加速しているようにも思う。「社会変革とは言うは易し」であり、私たちは具体的に何をどうすれば良いのだろうか。
本稿ではソーシャル・イノベーションについて精通しており、かつ自らも実践者である、米倉誠一郎さん、井上英之さん・有紀さんをお招きし、上記問題意識のもと、「日本社会の変え方を変えるためのソーシャル・イノベーション」についてお話を伺った。

1. ソーシャル・イノベーションとの出会い

-私(蛭間)と米倉先生との出会いは、2009年です。六本木ヒルズの日本元気塾にという社会人向け講座でした。以来、さまざまな活動をご一緒させていただいていますが、当時、先生がテーマとしていたことは「個の確立とイノベーション」でしたね。

米倉:僕の研究のバックグラウンドはビジネス・ヒストリーです。日本がいかに近代産業を創出してきたか。いかに競争力をつけてきたのかを研究してきました。恥ずかしながら、僕は1990年代半ばまで、日本の企業システムが世界に負けるわけはないと思っていました。そんな思いを抱く僕に、友人から「シリコンバレーを訪ねた方がいい」と忠告があり、訪ねてみました。そこでは、バットでぶん殴られたような衝撃を受けました。まったく違うゲームが始まっていたのです。新しいことになにしろチャレンジし、「失敗しても次がある」というゲームが展開されていたのでした。「えらいこっちゃ」、これは早く日本に帰って伝えなくてはと、1995年頃、突然「ベンチャーおじさん」になりました。それが「個の確立とイノベーション」につながります。

-産業史などがご専門の先生が、技術や産業のイノベーションを追いかけることはわかるのですが、日本元気塾、世界元気塾、そしてソーシャル・イノベーションと、ご自身のテーマがソーシャルの領域へと遷移されたのはなぜでしょうか。

米倉:1990年代半ばにミシガン大学のエクゼクティブ・プログラムであったグローバル・リーダーシップ・プログラムの立上げを手伝うなかで、そこではすでにグローバル・シチズンシップ(企業人である前に地球市民であること)が教材となっていました。刺激を受けて一橋大学でもそうした授業にも取り組むなか、森ビルの「アーク都市塾」の塾長を引き受けました。この塾の優位性を考えていくなかで、「今だけ・ここだけ・あなただけ」という暗黙知を暗黙知のままに伝える塾を構想しました。そして日本や世界を元気に(エナジャイズ)するプログラムを考えました。それが日本元気塾となり、2009年、蛭間君はその第1期生になったわけです。
その塾ではソーシャルなことも組み入れていきました。「ビッグイシュー(注1)を売る」という体験プログラムなどです。さらに2009年にはグラミン銀行創設者であるユヌス氏が来日して、対談をしました。そして、そこで「ソーシャル・ビジネスによって社会課題が解決されている」というとんでもない衝撃を受けました。
一方で海外出張が多かったので、世界に出るたびに日本の国力が落ちてきて、もはや経済大国とか政治大国で評価されることはないと自覚するようになりました。日本に残る長所があるとしたら、JICAなどが蓄積してきた国際貢献と日本企業のオペレーショナル・エクセレンスです。それをベースにソーシャル・イノベーションにつげることができるのではないかと考えました。そして、2019年三菱地所の支援を受けてソーシャル・イノベーション・スクールを建学するに至りました。この学校は現在東京、広島、仙台、青森、名古屋の5校体制になり、卒業生はすでに330人に上ります。
本学の設立理念は、「世界に日本があってよかったと思われる国造り・人創り」で、ソーシャル・イノベーションに取り組むことです。日本がこの30年間でダメになったのは「分かっていることしか取り組まなくなった」からです。今は「訳の分からないこと」をやるべき時なのです。

2. ソーシャル・イノベーションをどう定義するか

-私が英之さんと初めてお会いしたのは、東京駅近くのカフェでした。ビッグイシュー基金の理事(当時)をされている英之さんに、私がコーチをしているホームレスサッカーチーム「野武士ジャパン」について相談に乗っていただきました。有紀さんとは、ジェレミー・ハンター教授(注2)のセルフマネジメント・プログラムや、アル・ゴア元米国副大統領(注3)が主催するClimate Realityコースでもご一緒させていただきました。まず有紀さんから、ソーシャル・イノベーションをどのように捉えているか、お聞かせください。

井上有紀(以下、有紀):私は大学院時代からの研究テーマとしてソーシャル・イノベーションを取り扱ってきました。特に小さなイノベーションをどう拡げていくことが出来るか、スケール・アウトできるか、ということを考え、その分野のリサーチやコンサルティングを通じて、ソーシャル・イノベーションを生み出すエコシステム(生態系)作りに関わってきました。その取組みのなかで思ったのが、目に見える事業モデルの拡大だけではなく、ソーシャル・イノベーションにおいては「人のマインドセットの変化をどう拡げるか」が重要だということです。同時に、そもそも自分自身が頭ばかりをつかって仕事をしている、ということが気持ち悪くも感じるようになりました。
2012年から米国に渡り、スタンフォード大学でSSIR(注4)を発刊している、PACS(Center on Philanthropy and Civil Society)というセンターに在籍し、他に、Person-Centered Expressive Arts(注5)の生みの親であるナタリー・ロジャーズさんのアプローチや、蛭間さんからも名前がでたジェレミー・ハンター氏のプログラムを通じ学んだセルフマネジメント、そしてMITのオット・シャマー教授によるU理論(注6)を身体性を通じて体感する「Social Presencing Theater」(SPT)という手法などを学んできました。
帰国後、出産、実家の事業承継などさまざまなライフイベントを経て、ソーシャル・イノベーションの世界に戻ってきました。これまでの経験を経て、「頭だけで理解したり、変化を生み出すことが難しい状況」に対して、人のマインドや感情、身体性も視野に入れることを通じて、社会の変容につなげようと考えています。

-英之さんのソーシャル・イノベーションの定義や関わりはいかがでしょうか?

井上英之(以下、英之):中学受験の塾通いで、当時のラッシュアワーのサラリーマンたちの姿を見て、衝撃を受けたのが原体験になっています。なぜ、不機嫌で生き生きしていないのか? 一方で、一人の人間として、よい表情で力を発揮している時はあるはずです。社会全体でもったいないリソースの使い方をしているのではないか? それが慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)で「マイプロジェクト」=私を主語に「やってみたいこと」をプロジェクトの形で始めてみる、という学びの手法を始めた背景でした。一人ひとりの可能性の発揮と、ソーシャル・イノベーションはつながっているんです。
大学は経済学部でしたが、経済学とは経済発展論なんだという話をよく覚えています。貧しい人たちが豊かになることが、社会が豊かになるということなんだ、って。「いま、稼げている人たちに、もっと稼いでもらって、波及効果を期待する」という、いわゆるトリクルダウンは、現状の延長であり、少なくとも社会的なイノベーションではないのではないでしょうか?
昨年出版したSSIR日本版に掲載した論文に、「カーブカット効果」というものがあります。「あらゆる人が誰かを代表している」ということでもあるのですが、こんな話から始まります。1970年代に米国バークレーで、歩道の段差に困っていた車いすの学生たちが、夜中にゲリラ的にカーブ(縁石)をカットしてなだらかなスロープに変えてしまったんです。やってみると、これが評判で、政策にもなって全米に広まり歩道というもののあり方を変えました。なぜなら、この段差には、ベビーカーや、大きな荷物を持っている人たちなど、さまざまな人が困っていたんです。これを「カーブカット効果」と呼んでいます。
今の世の中では、「誰かを特別扱いできない」「個別の対応はできない」とすることが多いですよね。でも、その個別のなかにこそ、多くの人を代表する大切な声があるのではないでしょうか。そして、私がラッシュの電車で衝撃を受けたように、日常において「違和感を感じた」ところにこそ世の中のパターンに気づき、変化をつくりだしていく大事なヒントがあると考えています。
ソーシャル・イノベーションとは、これまで、自分たちが無意識的に繰り返してきたパターンを変更するものです。もし、これまでのパターンの結果、好ましくない状況が生まれているのであれば、そのパターンを意識的に変更しようとするさまざまな試みがソーシャル・イノベーションのプロセスなんです。21世紀に入る頃から話題になった、社会起業やソーシャル・ビジネスのアプローチは、ビジネスやNPO経営のやり方のパターンチェンジによって、社会的なインパクトを目指すものだった、と今では理解しています。
そして、この時、「ソーシャル」の最小単位は、「私」であり、「私」をめぐるシステムです。経営学者のピーター・センゲさんもよく、家族は社会システムの最小単位である、と言っています。家族にも、職場にも、ビジネスのやり方にもパターンがあり、それが社会のパターンや現状のシステムをつくっていく。地球の温暖化も、個々の人の行動パターンの積み上げによって起きている。同じ構図があると思うんです。現在のパターンを継続することによって、今のシステムを強化するのか、パターンに気づいて、新しい選択肢を生み出すのか、ということが、ビジネスにおいても社会においても、大切なことになっていると思います。

3. 社会課題をどのように捉えるか?

-2003年に創刊したスタンフォード大のソーシャル・イノベーション・レビューでは、ソーシャル・イノベーションを「社会のニーズと課題に対して全く新しい解決策を発明し、支援を得て、社会に実装するプロセス」と定義しています。「社会のニーズと課題」という表現がよくできていると感じます。現在提唱されているSDGsやESGでは、地域の社会特性を踏まえない議論が往々にしてある気がしています。人口の増減、社会インフラの新旧、資源賦存量、なにより投資力や人材の有無など、各々にニーズや課題の差があるにも関わらず、そうした差を加味しない議論がなされています。脱炭素の議論も、産業界が生き残りのために事業所を統廃合する過程で、地域社会が置いてきぼりになるシナリオには違和感があります。


有紀:現在の社会が生み出している、現状の均衡点は、かつてそれが成立した時の合理性をもって始まっていると思います。それが、現在のニーズと乖離してしまい、既得権を生み出している一方で、大きな弊害を生み出している時、イノベーションが必要です。それを改めて、別の均衡点に移すことで、新しい状況を生み出そうとするのが、ソーシャル・イノベーションですね。もちろん、新しい均衡点にも、さらなるイノベーションが必要になる時がくるでしょう。
私たちは目に見えない関係性のなかに生きています。「イノベーション」というと目に見える結果が注目されますが、私が興味をもっているのは「イノベーション・マインド」の方です。本当は、それぞれの人に変化をおこす可能性があるのに、自分のなかにメンタル・ブロックがあり足が止まっていることは私自身にもあります。そのメンタル・ブロックを外すにはどうすればいいのか。例えば、新しいことに対する、自分の恐れの背景に気づくことで、同じような他者のこともわかり、新たな対話も始まって、今の均衡点を変えていけるかもしれません。
米倉:現在多くの人たちがソーシャル・イノベーションや個の確立に関心を集めているのは、ちょうど映画「未知との遭遇」のなかで全く別々のところにいる人たちが共通して同じ現象を想起したような状況だと思います。ある意味、世界中が「このままではいかん」と感じているのでしょう。
一方、僕は資本主義・イノベーション主義の申し子で、未だビジネスの可能性を強く信じています。ビジネス・イノベーションを社会課題の解決に結びつけることができるか、すなわちソーシャル・イノベーションという考え方を模索しています。極端な言い方をすれば、ソーシャル・イノベーション、それが一番儲かるという発想でもあるわけです。
介護や医療、私立学校などは社会課題をビジネスにするという意味で「ソーシャル・ビジネス」ですが、それだけではイノベーションではありません。例えば、高額な介護施設を高所得者層に売るというのはソーシャル・ビジネスですが、イノベーションではありません。一方で、もはや陳腐化した20世紀型社宅や社員寮を安く買いあげ、そこにより広範なミドルクラスが入れる介護施設を作るというのはイノベーションだと思います。新しい商材と新しいマーケットの組み合わせだからです。
日本人はそうした活動が上手なはずなのです。何も資源のない国がここまできたわけですから。今もう一回、ソーシャルとは何か、ということに立ち返り、あるものを組み合わせて、新しいものにしていきたい、と考えています。
英之:米倉先生の話は面白いですね。まず、私もソーシャル・ビジネスという言い方は好きではなく、あまり使いません。あらゆるビジネスはソーシャルであるはずですし。そして、ビジネスにもNPOにもイノベーティブなものとそうでないものがあります。何より、ソーシャル・ビジネスという表現には、イノベーションが含まれていません。今、大切なこととして、これだけのスピードで変化し続ける社会のなかでは、進化し続けなくては、サステイナブルではないんです。社会目的をもったビジネスであっても、意図してイノベーションをおこし続ける必要があります。
次に社会の課題をどのように解決するか、という話も興味深く感じました。そもそも、今の社会課題って何でしょうか。多くの場合は、経済格差は社会格差から始まっています。そして社会格差は、究極のところ、個々のもっている「知覚」がキーとなっています。私たちは、通常、自分とは違う背景の人たちを、どんなフィルターで見ているのかに無自覚なことが多いんです。
これはequity、日本語でいう公正さの問題です。たとえば採用面接で、男女差別をしようと意識している人は多くない。それはよくないと認識しています。ですが、実際には、さまざまな過去の経験やパターン、時にはトラウマ的な自動反応で、性別に対する特定のフィルターをもって見ている。まずは、このフィルターに気づくこと、自覚的であること。そこから、新しい選択肢が生まれます。これと同様の構図が、同僚に対して、顧客に対して、また、自分の仕事の商慣行や、当たり前だと思っているビジネスの前提に向けられている。パターンを変えていくには、現状をただ批判的にみるのではなく、まず、よく観察して、その前提から理解を進めることが必要で、これは、ビジネスのイノベーションにも共通することだと考えています。

-今回の新型コロナでも「命か生計か」という議論がありましたが、足りていないのはコロナ禍を耐え抜く社会像についての議論と国民からのコンセンサスを得る過程です。国難の危機を耐える社会のあり方、そしてコロナ後に実現したい社会の有り様についての議論が欠けています。経済政策の話ばかりで、死生観(トリアージ)を含めた社会政策の話はあまり聞こえてきませんでした。

4. コミットメントの重要性

-さて、ここまでさまざまなお話をしてきましたが、ソーシャル・イノベーションについて我々金融機関に期待することは何でしょうか?

米倉:金融機関の役割は極めて重要です。信用創造がなければイノベーションはできない。金融機関には、まさに信用に値する人物を見出し、信用を供与するという重要な任務があるのです。たとえば、アフリカの簡易送金システムM-Pesaなどがその現代的な方向性を示しています。簡単な送金システムの動きとSNSを組み合わせると、そこから個別具体的なプロフィールが浮かび上がって来ます。すなわち、経歴上一回も遅延・遅払いがない、周りの友達も信頼できる、友人からの「いいね」の数が多い、などの個人の信用力が浮かび上がる。続いて、その人の信用度に応じて信用供与が行われれば、イノベーションは加速度的に促進されます。こうした新しいテクノロジーと昔ながらの信用創造を結びつける金融機関が必要です。日本の復興は地域再生がなければ成り立ちません。その意味では、地域での信用創造はとても大事な点です。ただし、そういう人物を見極めるバンカーが減ってきていることも指摘せざるを得ません。M-Pesaのようなビッグデータを使えば個別の目利きは必要なく、地域での信用創造が可能となります。
また、企業の行動を誘導していくファイナンスも重要です。例えばDBJが開発した企業の防災・危機管理を評価してファイナンス(BCM格付融資)を行う、などの取組みは気候変動リスクへの適応にむけた金融手法として世界に通用するものでしょう。もはや、世界のどこかに手本があるとか、どこかから凄い仕組みをもってくるということではなく、日本人が自分自身の頭で考えたレジリエンス誘導型のファイナンスなどは新しい金融機関の重要な役割だと思います。その意味で、日本の金融機関にはまだやるべきことはたくさんあると思います。
一方、「ソーシャル・イノベーションで儲けろ」という姿勢も大事です。確かにiPhoneは高いですが、人々はこれを買いたがる。誰も消費者を脅かしてiPhoneを売っているわけではありません。ソーシャル・イノベーションも皆が喜んで資金を出すことにしていくことが重要です。
そしてB to Gもおろそかにしてはいけません。Common Ground(現・Breaking Ground)というNPOをやっているRosanne Haggertyさんはニューヨーク市のホームレス支援施設を自分たちが運営すれば、半分のコストで効果を倍にすることができると、それを請け負ってきました。政府や自治体資金をベースとしたソーシャル・ビジネスは、政府・自治体の資金を大幅に節約するだけでなく、受益者であるホームレスにとってもより良いサービスを受けることができる。
有紀:金融機関の行動には、大切な「意味」があると思います。意識はしていなくとも、ただ資金を提供しているのではなく、結果として、資金を通じて社会に意思表示をしている。金融機関がどのように現状を認識し、行動しているのか、そしてそれが自分たちの意図する「ありたい世界」とつながっているのか。今、大切にしていることは何で、手放すべきことは何か、自分たち自身とありたい世界への理解をすすめる。これだけ、社会が変動している現在が、トランジションの時なのだと思います。
SDGsやESGなどに対しても、外からの基準にあわせていく姿勢になりやすいと思いますが、自分たちが行きたい先がどこなのかを描き、その実現にむけて、行動していくことが大切なのではないかと思います。
英之:私自身、ほぼ4年がかりで事業承継のプロセスを経験しました。今の資本主義のど真ん中にいたとおもいます。そのプロセスで、主観的な部分の重要性を強く感じました。事業承継というのはパーソナルなプロセスでもあります。そもそも創業者の価値観やくせ、時には思い込みやトラウマが、会社の人事制度はじめ、さまざまなところに反映されています。客観的な事業の評価ももちろん大事な要素ですが、それだけではなく、最終的には、自分たちがどうしたいのか、何を大切なこととして生きたいのかという優先順位や、主観が問われます。
また、私がまさに翻訳をしている、「21世紀の教育」という本で、教育の改革においても、やはり企業と同様の、コンプライアンスとコミットメントの双方が重要だと描かれています。客観的なコンプライアンスを果たしていくだけではなく、いかに主観的にコミットメントができるのかが、システムの変化を導き、新しい未来を出現させていきます。
米倉:自分はビジネス・ヒストリーを研究分野にしてきましたが、実は歴史には主観しかありません。そして規則性は歴史の一部にしか過ぎません。これからの時代、次のプロセスに動いていくには主観で判断をし、規則性から逸脱し、新天地を拓いていくことは重要です。
英之:私が立ち上げた「ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)東京」では、パートナーと呼ばれる会員が、自分たちのお金と時間を、共感するソーシャルベンチャーに投資をします。この時、SVP東京として「投資すべき」という客観的な判断と、自分が、自分の大切な時間を使って「関わりたい」という主観的なコミットメントのせめぎ合いになります。でも、いちばん大切なのは、やっぱりそれぞれの人生の時間なんです。そこで、投資委員会において、ちょっとした工夫をしています。V票とS票というものがあるのですが、V票は、実際に汗を流す、ボランティアチームに入るという意思表示で、S票は、サポートするよ、賛成するよという票なんです。そして、S票が何票あっても、一定数以上のV票がないと正式な投資先になれないことになっています。何かを動かすには、当事者が必要なんです。この投票は、主観の客観化の一つのやり方だと考えています。

日本社会の「変え方」を変える、というテーマで3氏のお話を伺う最中に、ふとある人を思い出した。1980年代、ドラッカー氏らは親日派で日本の長所を学ぶべきという論を展開していたが、当時、真逆の論考をしていた、米国の歴史学者ジョン・W・ダワー氏(MIT名誉教授)のことだ。彼は、日本社会、日本人の特性として、次の5つを「欠如」という言葉を用いて指摘した。①「喜びの欠如」した富の集積(富裕層や都市など)、②「自由の欠如」した平等評価主義、③「創造性の欠如」した教育、④「家庭生活が欠如」した家族、⑤「リーダーシップが欠如」した大国。ドラッカー氏、ダワー氏のみならず、いつの時代も、日本人や日本社会の特殊論・特異論はさまざまな分野で語られてきた。日本型経営、終身雇用・年功序列、足下のコロナ危機対応における日本モデルもそうだ。対談頂いた3氏の専門性、キャリア、現在のソーシャル・イノベーション活動への関わり方は異なるが、共通点がある。それは、 「個の確立とイノベーション」、「主語を私に戻す」、「自分の心身の声に耳を傾ける」などの言葉から分かるように、「私・個人」への回帰の重要性だ。日本型モデルと称されるいかなる組織も社会も、その構成の原単位は人である。「社会を変える、変え方を変える」という前に、まず「自分自身」を理解し、心身双方のセルフマネジメントを身につけ、想像し、意図し、行動する必要性を感じた。
一方、外圧が日本社会の変え方のパターンでもある。例えば、金融業界のメインストリームとなったESGの各アジェンダもそうだ。気候変動リスクに始まり、エネルギー、生物多様性、自然資本、そして人権やガバナンスなど、個別具体の課題や、あるべき社会像が、欧州主導でルール形成されている。そして米中大国の地政学・地経学リスクと保護主義の台頭、かかる経済安全保障問題も外圧を通じて当事者意識が芽生えた。世界経済を牽引するリーダー国が提唱する、さまざまな社会正義や価値観と、その物差しに右往左往しているようにも思う。私たちは、あえていうなれば私たち日本人は、どのような日本社会でありたいのか、私自身はどのような生活や職にありたいのか、について意識・意図して、対話や議論、そして行動ができているだろうか。グリーンウォッシュなどは論外だが、ESGやSDGsについて、さまざまな企業と対話をしていると、スコアメイクに走り、偶像虚像を掲げることに精一杯で、ましてや稼ぐ力やイノベーションの隠れ蓑にしている感じや空気もある。「日本があって良かった」と、何をもって世界に信頼してもらえるかを考えるに、外圧を待つ受け身では無く、日本から自発的に世界に向かっていくことが期待されているのだろう。ダワー氏も、単なる欧米追従の日本モデルで良いのか、ということを80年代に警鐘をならしていたのかもしれない。
ソーシャル・イノベーションの一つの鍵は「新結合」だ。旧来の護送船団方式、トップランナー方式ではない、社会や産業の変革のヒントを、今回の対談で学んだ。過去や現在の企業規模や業種関係なく、組み合わせ次第では、新市場を創造するソーシャル・イノベーターとなる。そのなかで金融機関が果たすべき役割は、単に決裁機能を発揮し経済性を追求するのみならず、仲介や信用創造の観点から、個々の企業、もしくは相対する顧客一人一人に寄り添い、対話し、あるべき未来をともに語ることだ。また、エンゲージメント(建設的な目的を持った対話)は当然に、さらに踏み込んだ顧客、地域、社会課題へのコミットメントが求められる。「コンプライアンスや不良債権化を恐れる銀行員ではなく、個として自律した未来創造のバンカーたれ」と、座談会の最後に米倉先生から頂いた叱咤激励の言葉を忘れないようにしたい。

(注1)イギリスを発祥とする、ホームレス状態にある人や生活困窮者に対して「雑誌販売」という仕事を創る社会的企業
(注2)Jeremy Hunter クレアモント大学院大学ピーター・F・ドラッカー・スクール准教授
クレアモント大学院大学のエグゼクティブ・マインド・リーダーシップ・インスティテュートの創始者。東京を拠点とするTransform LLC.の共同創設者・パートナー。「自分をマネジメントできなければ人をマネジメントすることはできない」というドラッカーの思想をベースに、リーダーたちが人間性を保ちながら自分自身やキャリアを発展させるプログラムを開発し、自ら指導にあたっている。
(注3)Al Gore ノーベル平和賞受賞者のアル・ゴア元アメリカ副大統領
気候危機へのリーダー育成プログラム「Climate Reality Project」の創設者兼会長
(注4)Stanford Social Innovation Review。2003年にスタンフォード大学ビジネススクール内で創刊された、ソーシャル・イノベーション専門のメディア。
(注5)グループやプライベートでのセッションで、アートやダンスなどの身体表現を使って創造性の源泉を探求し、そこから個人や組織、社会の課題の解消をすすめる心理学ベースの方法論。
(注6)過去の延長線上ではない、変容やイノベーションが、個人やチームのなかから出現していくための手法の原理と、その実践を示した理論。

著者プロフィール

〈対談者〉 米倉 誠一郎 (よねくら せいいちろう)

クリエイティブ・レスポンス -ソーシャル・イノベーション・スクール 学長

一橋大学社会学部および経済学部卒業。同大学大学院社会学研究科博士課程中退。ハーバード大学Ph.D.(歴史学)。2008年より2012年まで同センター長。2012年より2016年までプレトリア大学ビジネススクール(GIBS)日本研究センター所長を兼務。2017年より一橋大学名誉教授・法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授。2020年より(社)Creative Responseソーシャル・イノベーション・スクールを開校して、学長を勤める。

〈対談者〉 井上 英之 (いのうえ ひでゆき)

「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」 共同発起人

慶應義塾大学卒業後、ジョージワシントン大学大学院に進学。外資系コンサルティング会社を経て、2001年、NPO法人ETIC.に参画。日本初の、ソーシャルベンチャー向けプランコンテスト「STYLE」を開催するなど、若い社会起業家の育成・輩出に取り組む。2003年、社会起業むけ投資団体「ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)東京」を設立。2005年より、慶應大学SFCにて「社会起業論」などの、社会起業に関わる実務と理論を合わせた授業群を開発。「マイプロジェクト」と呼ばれるプロジェクト型の学びの手法は、全国の高校から社会人まで広がっている。2009年に世界経済フォーラム「Young Global Leader」に選出。近年は、マインドフルネスとソーシャル・イノベーションを組み合わせたリーダーシップ開発に取り組む。2022年より、さとのば大学名誉学長(Chief Co-Leaner)。

〈対談者〉 井上 有紀 (いのうえ ゆき)

「スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー 日本版」 共同発起人

INNO-Lab International 共同代表。慶應義塾大学大学院卒業後、ソーシャル・イノベーションのスケールアウト(拡散)をテーマとして、コンサルティングやリサーチに従事。スタンフォード大学(Center on Philanthropy and Civil Society)、クレアモント大学院大学ピーター・ドラッカー・スクール・オブ・マネジメント客員研究員等を経て、現職。身体からの情報を含めたホリスティックなアプローチによるリーダーシップ教育に携わる。ソーシャル・プレゼンシング・シアター(SPT)シニアティーチャー。NPO法人ミラツク理事。一般社団法人ソーシャル・インベストメント・パートナーズ理事。株式会社エッセンス取締役。

〈聞き手・文章〉 蛭間 芳樹 (ひるま よしき)

株式会社日本政策投資銀行産業調査部・サステナブルソリューション部ほか 調査役

2009年、東京大学大学院(工学、社会基盤学)修了。2010年日本元気塾第一期生卒業(米倉塾「個の確立とイノベーション」)、2020年、スタンフォード大学サステナビリティ経営戦略エグゼクティブコース修了。DBJ入行後、営業、環境・CSR部、経営企画部などを経て、20年より現職。防災・BCP・危機管理・気候変動対策などに関する専門委員会への参画など内外活動はさまざま。09年よりボランティアでホームレスが選手のサッカー日本代表チーム「野武士ジャパン」のコーチ・監督、18年よりダイバーシティ・サッカー協会の代表・理事。2013年日本ユースリーダー協会「若者力大賞 ユースリーダー賞」受賞、2015年世界経済フォーラム「Young Global Leader」に選出、2021年よりYGLアジア地域代表メンバーの一員。