『日経研月報』特集より

英国の現場から見る医療のあるべき姿

2022年5月号

鈴木 亨 (すずき とおる)

英国レスター大学 医学・生命科学研究科副研究科長、循環器内科 教授/レスター・ライフサイエンス・アクセラレーター(イノベーション研究所) 所長

本稿は、2014年に英国に渡り、英国医療のあり方を現場で経験してきた医師であるレスター大学の鈴木亨教授に、日英の医療の違いと英国医療の良さを日本の医療に活かすことが可能か、という論点をベースに話を伺ったインタビューである。一番大きなテーマは、「どの病院・医師でも一定の医療が受けられるようなミニマムスキルの担保」であり、そのためのピアレビューのあり方である。鈴木氏の発言から学ぶべきことは多い。(聞き手:青山竜文)

1. 英国医療の特徴

-まず、英国と日本双方の医療現場に従事され、どのような違いを感じていますか?

鈴木:英国は約70年前に発足した公的な医療制度が存在し、医療は税金で賄われます。日本でも社会保険料を納め、皆保険制度が約60年前にできたという意味では似ています。ただ、日本の医療は和洋折衷であり、江戸時代までの漢方を中心とした伝統的な医療に、欧州から西洋医学が導入され、さらに戦後は米国の影響を受けて進化を辿ってきました。

-そのことはどのような側面にあらわれているでしょうか?

鈴木:英国では、古くから病院が作られています。レスター大学の病院は約250年前の1771年に設立されました。一方、レスター大学は1921年に設立され、100年目を迎えました。また、ロンドンの聖バーソロミュー病院は約900年の歴史があり、欧州最古の病院とされています。一方、日本最古の東京大学医学部附属病院は1858年に発足した神田お玉ヶ池種痘所に起源があります。日本では大学附属病院という形式になりますが、英国の大学病院は、大学よりも古くからあるものが多く、さながら「病院附属大学」のような存在です。
英国の伝統的な医療は、元来、現場を見る、観察することに端を発し、極めて現実主義的なものです。日本には主にドイツ式の「医学」が導入されましたが、仮説・理論の検証のロジックを重んじる面があり、同じ欧式でも考え方が異なります。その何百年の歴史のなかで、とにかく何でも記録をし、残し、そして分析するのです。その記述・記録・カルテから発展しているのが英国式の「医療」となります。
その一例として、ビール工場のあった場所でなぜか病気が流行らなかった。英国の川はどうしても澱んでしまうので、その水を飲むと病気になりやすいのですが、ビール工場の付近の住民は病気にならない。アルコールなどの原理を理解するまえに、「なぜそうなのか?」ということを観察するところから始まっているのが「疫学」そして「医療」となります。
これは今回の新型コロナへの対応でも活用されており、観察(データ)を記録し、分析します。そのためのシステムが存在します。そして、ワクチンや治療薬の開発においても、「どういう効果をもたらすか」ということを観察するための基盤ができています。こうした仕組みを独自に有していることは非常に重要で、「海外でこうしているから」という話になってしまうとどうしても対応も遅れてしまいます。

2. 英国医療のルールとクオリティの担保

-そうした特徴は英国に行って初めてわかったところでしょうか?

鈴木:英国で医療システムのなかに入ったことと、そもそも日本でも医療に携わり、そして一定の立場になったから見えている部分があります。
今所属しているグレンフィールド病院は、日本の国立循環器病研究センターに相当するところです。イングランドのど真ん中にあり、英国で最も患者数の多い循環器疾患に対応する拠点病院です。そうした組織でも、トップクラス、ワールド・リーディングな医療の維持や継続が最重要課題であり、その目的のために海外からでも優れた人材を採用することを惜しみません。そもそも英国では色々な国から人材を採用するのが定石で、今の病院でも約半数はイギリス人以外の医師です。そうした意味でも、英国は「今を生きる国」であり、そうした活動から進化を辿っている現代の英国といえます。

-マネジメント手法も日本とは異なるでしょうか?

鈴木:英国の病院では、多様な人材を採用しますが、公的医療制度のフレームワークのなかで活躍をしてもらう形になります。そのためには、ルールが必要であり、医療安全の基準等がそれにあたります。そこが英国のしっかりしている部分です。常に360度、観察されている仕組みが設けられています。これは英国の場合、医療に限った話ではなく、国としてAudit(監査)の仕組みがしっかりとできています。
医師としての免許の維持についても、そういう継続的な評価を受けていく必要があります。日本では一度免許を持つと比較的その維持は容易です。最近は専門医制度の導入などでそうした点を変えようとしていますが、英国の場合、医師が免許をもち、ある診療科を標榜する以上、一定のフレームワークとガバナンスに従っていく必要があり、それが医療の品質管理に繋がります。重要なのは、例えば自身の診療科でいえば、どの循環器内科医に診てもらっても患者が同じようなクオリティの医療を受けられる形を作っているという点です。
日本の場合、公立病院以外の病院が8割あり、どちらの病院が優れているか、という競争原理の観点も出てくるため、クオリティを国全体、地域全体で担保する、という方向には向かいにくいでしょう。

3. 英国医療の良さを日本で活かすには?

-日英では、「医療と医学」、「公立主体と(数のうえでは)民間主体」という構造の違いがあるとのことですが、英国医療の良さを日本の医療のなかでも導入していくことは可能でしょうか?

鈴木:英国で実現しているミニマムスキルの担保と、それに伴う標準的な医療の提供を実施するには、医師に対する再教育・再研修の仕組みが必要です。それを可能にするためには、ほかのことを学びなおす機会を作っていく仕組みなどで実現できるのではないでしょうか。ミニマムスキルというと最低限のレベルをイメージされるかもしれませんが、専門医として必要な全てのスキルを一定以上に維持しなければならないということを意味し、専門分野においてオールラウンドに非常にレベルが高い医療を提供できるのが英国の専門医となります。そのうえで、自身が得意としている技術やスキルに関しては、内外においてトップランナーとして認知されていることが、グレンフィールド病院では求められます。症例数も多いので、豊富な経験もあり、一言でいえばプロ集団となります。
日本で医療安全や品質の維持を担保する仕組みを導入していくこと自体は、専門医制度の見直しのなかでも検討されていると思いますが、それ以外にもできることはあるのでないかと感じています。
英国の良い点の一つとして、たとえ部長級の立場がある人でもほかの人が実施していることについて、積極的に話を聞き、最新技術を経験し、新しいことを学ぶ姿勢があります。そして、お互いを「見る」ことでピアレビューが実施されます。日本では一種の競争原理がそういった動きを妨げている側面もあるかもしれません。
また、英国では医師免許の許認可組織自体がそうしたクオリティコントロールのチェックポイントになっています。

-一種の競争原理があるという話ですが、日本でミニマムスキルの担保という方向に舵を切る場合、どのようなインセンティブがあれば、安全性評価やピアレビューという方向に動いていくでしょうか?

鈴木:どこかの組織でそうした動きをとることで、そこで従事している医師のレベルなどが認知され、患者にも伝わる、ということを具現化することにより、若い医療人材もその組織に集まり、スタッフもやり甲斐を感じ、かつ次のキャリアにも繋がるという形が理想です。
既存制度とは異なるフラットな形になりますが、「なぜその医療機関で働くのか」という意味合いを示し、新しい医療のモデルケースにはなるでしょう。
今の日本では、患者はインターネットや口コミなどで個人としての医師の評判を調べ、ある一人の医師のところに行こうとする傾向が強いですが、「どの医師が診てもこの病院なら大丈夫」という仕組みを担保できれば、医療のあり方も変わってくるでしょう。
また医療については、英語圏では先端情報を共有して、米国のインフラは英国に入る、またその逆もしかり、ということなのです。新型コロナの前からも医療のデジタル化の将来ビジョンはありましたが、パンデミック中からそれが急ピッチで進められています。例えば、遠隔医療やロボット・人工知能の導入はすでに現場のルーチン業務に導入されています。日本語化したもの、日本特有の「会計ベース」の仕組みの導入、などでは新たな進歩をキャプチャーしきれない部分があり、グローバルな立場から遅れをとる懸念があります。

4. クライシス・マネジメントの重要性

-最後に新型コロナへの対応という観点で、現場にいて英国の対応はどのように感じられましたか?

鈴木:英国においてさまざまな記録(データ)をとり、分析結果を透明化し、また迅速に対応する姿勢は英国の「医療」また「疫学」の強さを世界に示したと思います。医療以外の面でも、最初のロックダウン時に、企業ではなく個人に対する補償がなされ、生活をできるように面倒をみました。そうした対応は本当に迅速でした。
一方で、「患者が多く発生した」というのは政治的・文化的な領域の話でもあります。英国、ヨーロッパは自由(個人)主義であり、マスクも強制されない限り誰もしませんし、自粛・お願いで何かを動かすという方法は成り立ちません。個人の自由ないし権利が尊重されるからです。
そうした意味で今回は「文化的背景、政治的背景があっての医療」という側面を強く感じました。英国があれだけの対応をしているなか、もし各人がお互いへの配慮としてマスクをして、自粛をして、という部分もあれば、状況も変わったかもしれませんが、そこは文化的背景が大きいのです。逆にいえば、日本の場合、国民の協力や自粛要請への受け入れという観点で日本人らしさが出て、その結果で感染拡大を一定の範囲で収めた、ともいえるでしょう。

-そうした違いを踏まえたうえで英国から学ぶべき点はあるでしょうか?

鈴木:やはり普段のクオリティ・マネジメントとそのための仕組みづくりをベースとした緊急事態におけるクライシス・マネジメント、リスク・マネジメントでしょう。不測の事態に対するレスポンスが迅速で、かつ系統的である点です。医療におけるクライシス・マネジメントについても英国から学べることは多いでしょう。

著者プロフィール

鈴木 亨 (すずき とおる)

英国レスター大学 医学・生命科学研究科副研究科長、循環器内科 教授/レスター・ライフサイエンス・アクセラレーター(イノベーション研究所) 所長

東京大学循環器内科での勤務を経て、2014年に渡英。レスター大学の循環器内科教授として大学ならびに英国の循環器疾患の拠点病院である附属グレンフィールド病院で、臨床と研究さらに管理業務に従事。