『日経研月報』特集より

農業経営の進化と地域創生のカギ~「信州なかの農業経営塾」(長野県中野市)活動を通して~

2022年6月号

吉田 健司 (よしだ けんじ)

株式会社ビット89 代表取締役/一般社団法人寺子屋カレッジ 代表理事

今“農業”が多方面から注目され、進化している。昭和時代の農業のイメージは、低生産性、高齢化、離農と過疎化の進行といったように比較的暗いものが多かった。しかし、平成28年の「改正農地法」等を起爆剤として農業法人が増え続ける等、事業環境にも変化がみられるようになってきた。令和に入ると、働き方改革等の法改正と新型コロナウイルスの感染拡大による“新しい生活様式(ニューノーマル)”への移行も相まって、今や農業は魅力ある産業として大きく変貌を遂げつつある。一方、地域創生が叫ばれているなかで、私は、長野県での4年間にわたる農業経営塾の活動経験を通して、農業が地域創生のカギまたは原動力になるものと確信している。

1. 「信州なかの農業経営塾」の活動

2016年春、長野県北部に位置する中野市の当時市長、池田茂氏より「“経営感覚”をもった農家を育成するために、農業経営塾を開きたいので協力してもらえないだろうか」との打診を受けた。企業経営には精通しているつもりの私でも、農業分野には経験もなく知識も疎いので躊躇していたが、池田市長の地元愛への強い情熱と「中野市の農業変革から日本全体を元気にしたい」との“自利利他”の将来構想に感動し、お引き受けした。このような経緯からスタートした「信州なかの農業経営塾(以下、農業経営塾)」の運営体制について触れてみたい。

事務局は中野市市役所の中にある農政課に設置された。ここで特筆すべきは、JA中野市(中野市農業協同組合)の協力支援体制である。教室の提供等、市の農政課とともに農業経営塾をサポートした。
農業経営塾は、2017年に「一般コース」からスタートし、2020年まで毎年、新規受講生の「一般コース」と前年の既受講生を対象とした「ステップアップコース」を開講した。時期は、農閑期となる8月末から翌年2月までの月1回(4時間)である。「一般コース」の講義内容では、以下の5科目を中心に扱った。

・「経営理念・事業計画」
・「マーケティング・経営戦略」
・「農業会計・経営分析・採算性」
・「生産性・品質・工程管理」
・「人的資源・組織力」

課外授業では、「先端経営体視察」と称してバスをチャーター(中野市所有)し、“6次産業化”等に取り組んでいる農家、農業法人や“農業Week”等のイベントを訪問視察したほか、現場学習も取り入れた。
一方「ステップアップコース」では、「農業ビジネスにおける“将来の目”」、「農業法人の設立・運営と6次産業化成否のカギ」、「農業マーケティング」などのテーマやリクエストのあったテーマについて、TV関連番組の視聴等を交えて、「一般コース」の深掘り講義を行った。さらに「一般コース」で行う「先端経営体視察」にも合同参加する等、両コースの受講生の交流も図った。
農業経営塾は毎回4時間かけているが、上述した講義のほか、売りは「ワールドカフェ方式」によるグループ別演習である。この方式は、全員参加型の大規模な対話手法で、極めて有益な合意形成手法といえる。毎回約3~4つのグループ編成としたが、それぞれのグループ内だけでなく、他のグループメンバーとの交流も生まれて、教室内が盛り上がった。また、個人の発表能力の養成にもつながるような工夫も加えた。

2. 活動成果と変化の兆し

農業経営塾の最終回には、「一般コース」、「ステップアップコース」とも、公開講座として私からの課題に対する解決策をプレゼンテーションしてもらうことにした。このプレゼンテーションには、各農家の将来像の実現に向けた具体的課題も明示されていて、各農家、自治体、国レベルで取り組むべきさまざまな解決策に対し有益な提言などが多く見受けられた。実際に、この発表の後、将来像に向けて有効な手立てを打っている、市の農政課、JA、受講生の例も聴くことができた。
次に、この農業経営塾を通して得られた活動成果の新商品2件を紹介しよう。一つはシャインマスカットの新品種でもある「クイーンルージュ」の誕生である。農業経営塾が原動力となったのかは不明であるが、2017年の開校時、日本のシャインマスカットが知財戦略の失敗から中国でコピー商品が生産され始めたことに触れ、「一般的に企業であれば、競合相手が現れた場合、差別化戦略としてこれまでにないほど美味しい新製品を開発することを目指す」と指摘したら、たまたま受講生として参加していた農業試験場の職員から「グリーンではなく、巨峰のような紅色でさらに糖度の高いぶどうの開発を目指したい」との回答があった。その誕生を楽しみにしていたところ、2021年市場にお目見えし、「シャインマスカット」、「ナガノパープル」にこの新しい「クイーンルージュ」を加え、“長野県 ぶどう三姉妹”として新聞の一面広告を打ってデビューした。

もう一つは、干し柿の新品種である『琥珀の華(こはくのはな)』の誕生である。これは長野県南部で栽培されている『市田柿(いちだがき)』の“枝変わり”と呼ばれる突然変異から生まれた柿で、市田柿に比べて糖度が高く風味も良い。中野市で農家を営んでいる受講生のTさんが全力で育て上げた逸品で、2020年4月に商標登録された。

さらに受講生の第1期生であるSさんは、東京在住の元SE(システムエンジニア)であったが、新しいライフスタイルを求めて、自然環境豊かな長野県中野市に家族全員で引っ越してきていた。いわば“Iターン”としてこの新天地で就農しているが、有機肥料にこだわる等エコファーマーとしての取組みが評価され、農林水産省生産局長賞(最高賞)を受賞する等、大きな成果を生み出している。
また、新しい農業の形態を目指し、インターネットを活用して首都圏をはじめ全国の消費者やレストラン等を対象に販売先を拡大している農家も増えてきている。具体的には東京や横浜等で開催されている長野県特産品イベントフェアに参加するようになった。そこで末端消費者との触れ合いを通じて、生きた“マーケティング”を実践している受講生も出てくる等、お互いに良い刺激を与えあいながら、切磋琢磨している。彼ら受講生の多くは30代から40代で、次世代農家の担い手として従来の農業形態からの脱皮を図ろうとしている。TVドラマ「下町ロケット」でも登場した、無人の自動運転トラクターやドローンの活用だけでなく、作付け計画等の便利なスマホアプリを使いこなしている世代である。
この中には長野県のJA幹部になり、組織内部からの変革に挑戦している者も現れてきた。

3. 日本の新しい農業への提言

昨今の社会状況(新型コロナウイルスの感染等)や国際状況(ロシアのウクライナ侵攻等)を鑑み、経済安全保障問題、とりわけ“食料”分野の安全保障は大きな懸念事項である。EUでは『スマートビレッジ(農村)』の実証実験が進められている。

欧州議会は、このスマートビレッジを「地域の強みや機会を活かし、革新的なソリューションでレジリエンス(回復力)を向上させる農村地域のコミュニティ」と定義している。主に、情報通信、ビッグデータ、IoT等のDX技術を駆使することで、スマートビレッジをより機動性のあるものにし、限られた資源を有効利用しつつ、コミュニティの魅力と生活の品質を向上する活動である。EU域内の20の農村が設定している目標に向けた「21世紀のスマート農村に関する準備行動」として次の12の活動例が挙げられている。

①学校が閉鎖された村の子供に500㎞離れた学校からオンラインで授業を配信
②相続人不在の農地をコミュニティが取得、農村の子供や移住者に使用権を提供
③地域内のリモートワークサービス施設を一つのブランドとして提供
④小規模なバイオガス発酵装置をコミュニティが設置、堆肥由来の再エネを利用
⑤村民がブドウ園に出資、出資者にワインを贈呈、コミュニティはワインを販売
⑥村ぐるみでライドシェアを実施、交通弱者にもモビリティーの自由を提供
⑦季節の特産品の詰め合わせを販売、前払いで顧客数・受注数・現金を確保
⑧一つのホテルのように村ぐるみで民泊を経営、観光客は好きな民家に宿泊
⑨コミュニティの共同投資で村全体の民家に太陽光発電を設置、売電で収益
⑩ブドウ畑の精密農業、IoT・衛星画像・GPS・GIS情報とワイン組成をAI分析
⑪オリーブの木々の里親制度、里親は管理費を賄い、VRで畑を訪問
⑫村の住民の健康状態を遠隔検診システムでモニタリング

2022年1月20日、農機メーカーのクボタも「日本農業の未来へ」と題するオンラインイベントで「スマートビレッジ構想」を発表している。2030年を目標に、自動運転の田植え機やトラクターを拡充し、作業者への負担を可能な限り軽減させるとのこと。さらに独自の農業情報プラットフォームによって、農機・栽培・営農を支援する各種システムのデータ共有ができる環境を整備する計画を立てている。加えて、水道インフラや下水処理のコア技術を活用し、水田の流量を調整して水害に備える「田んぼダム」、農業残渣や家畜糞尿をメタン発酵して得られる熱や電気の創エネにも取り組もうとしている。そしてスマートビレッジ構想を実証できる環境も整えたうえで、食料・水・環境という3つの事業分野が一体となって社会課題を解決していくことが重要と結論付けている。
21世紀に入り日本の農村問題は次の3つの基本課題を抱え、大きな転換期を迎えていることを認識すべき局面に立たされている。

①農業従事者が引退年齢に入りつつあること
②工業化と都市化の一方的な進行による農地の転用が終焉を迎えていること
③農村における環境維持機能の後退によって、地球温暖化・ヒートアイランド・自然災害の激発が深刻化しつつあること

都市と農村は相互依存の関係にあることから、都市問題に対するスマートシティ構想のみが脚光を浴びるなかで、農村問題に対するスマートビレッジ構想との連携によって、相互解決が図れることを期待したい。

4. サステナブルな地域創生への要件

地域創生がしっかりと根付くためには、少なくとも次の5つの要件が求められる。
1)地元愛への強い情熱をもった熱いリーダーが存在すること

今回の農業経営塾を発案し、推進してきた中野市の元市長、池田茂氏の存在はまさに“熱いリーダー”ではなかろうか。さらに言えば、リーダーの構想に共鳴し協力支援した市の農政課職員だけでなく、JAの幹部職員と、現場で変革を実践している受講生は“変革(イノベーション)”を起こす重要なフォロワーである。

2)外部からの知恵を継続的に取り組むこと

池田氏は、もと横浜銀行に勤務しており、サラリーマン時代に培った首都圏を中心とした幅広い人脈が大きな力になっている。これまでのネットワークを活かして、主に首都圏で活躍している人材や組織の知見・アイディア等を地元に呼び寄せている。一般に新規事業推進に必要な3タイプの人間として「よそ者」「若者」「馬鹿者」が挙げられるが、ここでいう外部からの知恵とは「よそ者」に該当する。

3)利益が地元に還元される仕組みであること

地元が活況を呈するには、経済的に稼いだ利益が地域内で還流することが重要である。農業を地域活性化の起爆剤にするには、そこで生み出された利益やノウハウ等を地域全体で共有していくシステムが求められる。観光業や飲食業ばかりでなく、将来性が期待されている新規事業への再投資・育成にも伝播していくことが不可欠である。

4)地域金融の活用によって共通価値が生み出されること

地銀や信用金庫のような地域金融機関は、資金繰り支援はもとより経営改善、事業再生、事業転換支援、M&A仲介といった多方面でのサービスが地域創生にとっての重要価値を高めている。また金融面からのサポートだけでなく、地域社会のニーズに沿った事業者や人材の紹介・仲介、情報提供等も求められている。

5)持続的な組織形成につながるサービスの提供があること

2007年、経営安定対策の導入を契機に、数多くの集落営農組織が生まれた。このことによって法人化は一定のレベルまで進んだ。しかし後継者の確保や世代交代といった課題は、当初のまま残っているのが現状である。創設期のリーダーは高齢化が進み、次世代の育成が喫緊の課題である。自利利他といった社会との共生概念があったからこそ、日本には100年以上続いている長寿企業または老舗企業が多く存在している。また持続性、永続性のキーワードには良きコミュニケーションと人間関係が必要と考える。そこで社会組織の最小構成単位として家族や個人に注目することも大切であり、円満な家族形成や相性の良い人間関係や働きがい等も、地域創生の不可欠要素として再認識する必要があるだろう。

5. 総括 ~明るい日本の未来に向けて~

「信州なかの農業経営塾」での体験を通して、スマート農業への取組みの加速化をはじめ、日本の農業のあり方や地域創生についての課題、さらに最近の取組状況を論じてきたが、日本の農業が大きな転換期を迎えていることは間違いない。
最近の若者世代の取組みには目を見張るものがある。デジタル分野、地球環境分野、SDGs・ボランティア活動等の社会事業分野、そしてグローバル分野等における若者の活躍である。このなかで最後に挙げたグローバル分野での新たな展開事業にも日本の農業を大きく変えていくポテンシャルのある事業者が存在しており、注目したい。
日本全体がより豊かで幸せな社会になるためには、多くの格差を是正しながら、あわせてヒト・モノ・カネ・情報の「均衡」と「循環」を“カイゼン”の柱にすることである。さらに、デジタル面での目に見える生産性向上など、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進ばかりでなく、アナログ面でのリアルなコミュニケーション、そして、目に見えないエンゲージメント(愛着心や思い入れ)等に配慮した施策も忘れてはならない。
最後に日本の地域創生のカギは、「自律分散」であり、“個人”の幸福感を基軸に、社会や時代変化に対応したさまざまな方策がシステマティックに機能していく社会を目指していくことを強く願っている。

参考文献

・窪田新之助、山口亮子著「農業のしくみとビジネスがこれ1冊でしっかりわかる教科書」2020.7
・尾ノ井 憲三著「日本農業再生案」2018.10
・旭リサーチセンター「Watching」2022.3
・田林 明著「日本農業の構造変容と地域農業の担い手」経済地理学年報2007
・農林水産省「食料・農業・農村の動向(令和2年度)「食料・農業・農村施策(令和3年度)」 https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r2/pdf/zentaiban.pdf
・「日本農業の20年後を問う」一般社団法人 日本経済調査協議会 調査報告2017-1(ASSN1342-4173)

著者プロフィール

吉田 健司 (よしだ けんじ)

株式会社ビット89 代表取締役/一般社団法人寺子屋カレッジ 代表理事

1975年旭化成(株)入社、1981~83年米国イリノイ大学大学院派遣留学(MBA修得)。帰国後、主に経営企画部門などに従事。1989年独立し中小企業支援の「社外経営企画室」を標榜し(株)ビット89を起業、代表取締役就任。2003年旭化成とともに中国に合弁会社を設立。その後、淑徳大学経営学部教授等を歴任した後、学び直しの経営塾「寺子屋カレッジ」を開校し、さらに一般社団法人寺子屋カレッジを設立し、現在に至る。