『日経研月報』特集より

2歩先のイノベーションを目指そう

2022年12月号

安浦 寛人 (やすうら ひろと)

九州大学名誉教授 工学博士/国立情報学研究所 副所長、特任教授/電子情報通信学会 名誉員

2022年の京都賞先端技術部門の受賞者は、米国カリフォルニア工科大学のカーバー・ミード博士でした。ミード博士は、応用物理学を専攻した電子工学者であり、学生時代から研究者・教育者として、長年にわたり母校のカリフォルニア工科大学で教鞭をとられてきました。1959年に、博士号を取得しそのまま教員となり、トランジスタの研究を続けていました。
ミード博士は、1965年当時、後にインテルの創業者となるゴードン・ムーアのコンサルタントをしており、複数のトランジスタを含む回路を単一のシリコンチップ上に集積する集積回路の技術と出逢います。ムーアが、後に、「ムーアの法則」と呼ばれる回路の集積度が指数関数的に増大するという経験則を発表するのもこの頃です。トランジスタの線幅を半分にすれば、トランジスタ全体の面積は4分の1になります。この微細化が、3年ごとに繰り返され続けてきたのがムーアの法則です。1970年から2020年までの50年間、ほぼこのペースで微細化が進められてきて、同じ面積のシリコンチップに搭載されるトランジスタの数が20年で約1万倍、50年で数千万倍にまで増え続けてきました。1970年当時、1センチ角程度のチップ上には千個程度のトランジスタしか搭載できなかったものが、現在では数百億個のトランジスタが1つのチップ上に集積できるようになっています。これが、半導体集積回路が引き起こしたITイノベーションの原動力でした。多くの研究者が、「いかに微細加工を進めるか?」、「さまざまな物理的限界を乗り越えて微細化を続けるか?」に注力し、その成果として、「ムーアの法則」が続いてきたのです。
しかし、ミード博士は、1968年に、トランジスタの微細化と性能の向上が両立するという学会講演をした後、全く別の問題に挑戦し始めました。「1千万個のトランジスタからなるシステムをどうやって設計し、動作させるのか?」という問題です。集積回路を作る技術は、多色刷りの版画に似ています。シリコンウェハの上に、感光剤を塗って、マスクパタンと呼ばれる写真のネガのようなもので部分的に感光させ、加工する部分としない部分を分け、加工する部分だけを削ったり、積層したりする工程を何度も繰り返す技術です。1970年当時、千個程度のトランジスタからなる半導体集積回路のマスクパタンを作るのは、ほぼ人手で行っていました。ミード博士は、このままでは、トランジスタを小さくしても1千万トランジスタからなる大規模集積回路は、実現できないと考えました。
ミード博士は、10年から20年先を見据えて、複雑な電子システムの設計から、それを実現する論理回路や電子回路、さらにマスクパタンをどのように自動的に作るかという研究を始め、自分の集積回路のコースで学生たちにさまざまなチャレンジをやらせました。そこで生み出されたのは、CAD(計算機支援設計)やEDA(電子回路設計自動化)の技術の基本的なアイディアでした。そして、学生たちに複雑な集積回路システムを設計させ、それをインテルの工場で試作するという画期的な教育手法を実現しました。1970年代のことです。1980年にはVLSI(大規模集積回路)設計の有名な教科書を出版しました。その原稿は、既に1978年から、米国の大学で教科書として使われ始めていました。学生が設計した集積回路を、企業の工場で試作する教育法も米国の大学で広まり、1980年代前半には、標準的な教育課程になっていました。欧州、台湾、韓国も次々に同様の試作の仕組みを構築し、1990年代の前半には、半導体集積回路の生産国で、学生が設計した集積回路を安価に試作できる仕組みを持たないのは日本だけになっていました。当時の日本は、米国を抜いて世界最大の半導体生産国となっていたわけですが、次世代の設計者育成には完全に乗り遅れていました。その後、半導体産業は、微細化を追求する製造メーカ(台湾や韓国などが中心のファブ)、設計だけを行う米国や欧州のファブレス企業、製造装置を供給する日米欧、シリコンウェハなどの材料を供給する日本の材料メーカというような国際水平分業の構造になっています。ミード博士は、この水平分業体制を1970年代に既に予見していました。
今、九州では、台湾のTSMCの進出で、シリコン・アイランドの復活などと騒いでいます。筆者は、20年前に、シリコンシーベルトという設計重視の方向性を提案しましたが、賛同したのは、台湾や韓国の人たちでした。いまだに、我が国では設計者養成の重要性を語る人は少ない状況です。複雑に絡み合った産業構造の中で、1歩先さらには2歩先のイノベーションの鍵となる技術を見つけるには、広い視野のうえに立った柔軟な発想が必要であると痛感します。
ミード博士の講演は、京都賞のホームページに公開されています(注1)。ぜひご視聴ください。

(注1)第37回(2022)京都賞特設ウェブサイト(https://www.kyotoprize.org/2022/carver_mead/

著者プロフィール

安浦 寛人 (やすうら ひろと)

九州大学名誉教授 工学博士/国立情報学研究所 副所長、特任教授/電子情報通信学会 名誉員