『日経研月報』特集より
人と社会を起点とした人工知能技術の社会実装とデジタル変革 ~共創的アプローチとプラットフォーム~
2025年6-7月号
1. はじめに
人工知能(AI)の技術は今や社会の発展のために不可欠なものとなっており、人工知能技術を実社会に導入し活用する社会実装に大きな関心が集まっている。人工知能技術はこれまでに長い歴史の中で大きな変化を経て発達してきた。古くは数値計算から発展し、計算機が知的処理を行うものとして1956年ダートマス会議でArtificial intelligenceの概念が提唱された。この概念に基づく人工知能技術への期待が1960年代に高まり、続いて知識工学や論理演算に基づくエキスパートシステムとして二度目のブームが1980年代に起こり、我が国でも人工知能研究が成熟してきた。そしてほぼ同じ時期に、知識や論理演算ではないデータに基づいて機械が学習する機械学習の研究も進み、ニューラルネットワークの技術としても2回のブームを経て、両者の距離は近づいた。こうした人工知能技術の成熟と合わせて社会インフラとしてもパーソナルコンピューターとインターネットの普及により、ビッグデータの蓄積が2000年代に大きく進んだ。これらの歴史の必然として、ニューラルネットワーク技術が進化した深層学習を起点として三度目の人工知能ブームが2015年頃から巻き起こり、続いて2023年頃から生成AIが一気に普及し、人工知能技術とその社会実装が加速し続けていることは記憶に新しい。
人工知能技術はデータから計算モデルを学習させるフェーズと、学習した計算モデルを使った推論の2つの組み合わせでできている。このため実社会で応用するうえでは対象となる問題や現象に対して、どのようなデータ(とくに目的となる変数)を収集し続け、何を対象として計算モデルを学習し、対象を予測・再現する推論を可能にするか、という観点で考えることが重要である。対象は人工知能技術単体だけでは考えることが難しく、それを活用する先にある利用方法(ユースケース)とともに考える必要がある。そのためには、ユースケースを具体化する、すなわち誰がユーザーや関係者であるかという人起点、またそれらの人がどのような相互作用をしているかという社会起点で考えることが有効である。これはまさに人工知能技術の社会実装と社会のデジタル変革が両輪として同時に進展することで実現する。本稿ではこうした人工知能技術の社会実装に向けて、実社会で新たに収集されるデータを活用し、価値を創出するための共創的なアプローチやその基盤となるプラットフォームの重要性について述べる。
2. 生成AIと大規模言語モデル、基盤モデル
生成AIの基本はインターネット上に集積されたテキストや画像のビッグデータから学習された「大規模言語モデル(LLM)」や「基盤モデル」である。膨大なテキストデータから学習した大規模言語モデル、さらに画像データや動画、音声からも学習した基盤モデルが構築され、今やスマートフォンなどで簡単に利用できる時代が到来した。大規模言語モデルや基盤モデルは百科事典のようなものであり、「いつでも、どこでも」成りたつ普遍的な対象、とくにテキストや画像、動画で表現されたものに対してはよく働き、誰にでも共通の一般的な質問やリクエストについては新たな学習をしなくても容易に活用することができるため急速に普及が進んだ。現時点の大規模言語モデル、基盤モデルはディープラーニングとトランスフォーマーという技術に基づいている。これらは膨大なパラメータで構成された複雑な関数であり、その内部を人が理解することは難しい。そのため現在の生成AIはブラックボックス型であると言われている。使う際に個別に学習させなくても良い応用においてはそれでも良いが、個別の深い問題に対応しようとすると独自のデータを与えた追加の学習が必要となる。この時、内部の構造がわからないことから想定外の挙動が生じた場合に思った通りに制御することが困難になる問題がある。
3. ホワイトボックス型の計算モデルと人と共進化するAI
人工知能技術を個別の問題に対して深く適用しようとすると、共通の大規模言語モデルや基盤モデルだけで対応することが難しくなり、新たな学習をさせる必要が出てくる。そのため入力xに対して生成する出力yとの間の関係を計算モデルとして学習することが必要になる。この計算モデルが人にとって理解できるようなもの、つまりxを入力するとなぜyが出力されたのかを説明できる計算モデルを「ホワイトボックス型」の計算モデルと呼ぶ。実社会の現象を予測したりシミュレートできる人工知能技術で「価値」を実現するための計算モデルを学習するためには、目的変数として価値を明示的に表し、それに関係する多くの説明変数を集めデータ化する。そうすると現場で起こる現象や価値が生まれる過程を適切に表現するために独自のデータから学習したホワイトボックス型の計算モデルが競争力になる。そこでこの独自データを長期間、持続的に集めるための取組みや仕組みを現場に埋め込むことが人工知能技術活用の鍵になる。つまり部分的に学習済みの人工知能技術を導入するだけでなく、現象に関係する独自のデータ、とくに価値や目的変数を集めるためにステークホルダーが知見を共有し、協力、共創できる仕組みとともに、計算モデルを改善し続けることが重要である。その際、ステークホルダー間で現象に対して新たな気づきを得たり、価値を明らかにすることにも、人が理解できるホワイトボックス型の計算モデルが役に立つ。独自のデータからAIが学習し進化するだけでなく、AIを使う人も同時に進化する、という意味で「人と共進化するAI」と呼ぶことができる。人と共進化できるホワイトボックス型の人工知能技術として、確率的グラフィカルモデルというものがある(参考文献[1])。因果的な構造として変数の間の関係を理解しやすい確率モデルであるベイジアンネットワークという計算モデルを活用して実社会ビッグデータから計算モデルを構築し、現象を予測、再現し、望ましい状態を実現するための課題解決などの取組みも多く進められている(参考文献[2])。
人工知能技術の社会実装がさらに進むと、センサーやIoTデバイスが導入された現場から時間解像度の高いデータが高密度に収集できる。また、空間情報も付与され、その密度や解像度が高くなることが予想される。こうした時間・空間解像度の高いビッグデータを活用して、現場で生じるさまざまな現象のリスクやコスト、人や社会にとっての価値を学習することで、それらを予測、推定する計算モデルを構築し、望ましい「現象」を生成できるようにすることが重要な課題である。
4. 人工知能技術の社会実装における重要課題
人工知能が理論上、避けて通れない問題として「フレーム問題」(参考文献[3])がある。そこで人工知能技術を社会実装し、現実問題に適用するときには、適用先の「フレーム」を念頭に置いて対応策を検討する必要がある。人同士の間では、現実問題において前提条件となる価値観や制約条件、何が大事な目的変数で、何がそれに影響する説明変数であるかなどは暗黙的に共有されていることが期待されている。これが現実問題における暗黙的な「フレーム」となり、それを前提とした問題解決を可能にしている。ところが、人工知能は今の生成AIであっても、個別の問題領域における「フレーム」が共有されている保証はない。ブラックボックス型の計算モデルでは、このフレームを明示的に扱うことができないことが実用上の問題となる。最近、AIが一見、もっともらしい振る舞いをしながらいわゆる「ズル」をする挙動を示すなどの事例が生じているが、これも間違った「フレーム」のもとでAIが最適化をしてしまうことが原因である。
そこで、社会実装においては、「フレーム」をどのように設定してデータを集め、学習したAIによって価値を出すかということが重要課題である。対象となる現象において、何を目的変数として設定し、それに影響を与える説明変数との間の関係を因果的に説明できるようにすることが重要である。その因果的な関係を計算するモデルとして目的変数と説明変数が揃ったデータから学習すればその結果も望ましいものになる。人間と協調動作をする場合にも、フレームを明らかにすることが重要になる。今の生成AIの元となる基盤モデルはもっともらしいテキストや画像を出力できるようにデータから学習しているが、そのデータの背後にある価値観や因果関係を直接獲得しているわけではない。AIを利用する人々が見て出力が人や社会にとって妥当なものかどうかじっくり吟味し、AIが何をモデル化しているかを確認することが必要になる。例えば、「ある時間」に生じる現象は、「その時刻」だから起きたとは限らない。「その時刻」に起きた別の現象が原因となって、結果が起こるような因果関係が背後にあることが多い。こうした背後にある因果関係や、どのような現象が相互に関係しているのか、といったことを計算モデル化するためには、まだ明確にテキストや画像、動画としてはデータ化されていない、潜在的な知識や価値観を人から引き出して計算モデルに埋め込み活用する必要がある。つまり、その現象を取り巻く多様なステークホルダーの間で暗黙知と価値を顕在化し、人工知能技術を活用するために協力する、つまり価値のモデル化と共創的アプローチが必要になる。
5. デジタル変革における価値構造のモデル化
実社会ビッグデータを通じてさまざまな現象を計算機上で生成できるように計算モデル化し、それを使ったさまざまな支援ツールを通じて実社会で活用することで、結果として多くの人が実社会の現象をこれまでよりもよく理解し、適切な行動がとれるようにもなる。例えば現場で得られる多様なビッグデータを使って、現象としてリスクが生じるメカニズムを顕在化し、そのリスクを制御できるように可視化できれば、関係者全員がリスクを共通に認識し、AI技術を活用した支援ツールを使ってリスクを下げる行動がとれるようになる。リスクだけでなく、ベネフィット(便益)や価値、コストについても同じ様に実際の日々のデータでAIを学習し、その現象が生じる構造を顕在化することができる。その結果、人がAIを使ってより良い状態になるような最善の判断と行動がとれるようになる。このような価値の構造(ベネフィット、リスク、コストに関する因果的構造)を計算モデルとして表現することを「価値構造のモデル化」と呼ぶ(図2)。価値構造を実データからモデル化し改善する仕組みを早期に業務の中に埋め込み、データと計算モデルの持続的な改良を持続していくことが、本質的な価値を持続的に生み出せる人工知能技術の社会実装の肝になる。
そのためには、これまでにない学習データ、とくに学習における教師データとなる目的変数のデータを集積しながら、多様な関係者を巻き込み、価値構造をモデル化し、それを人工知能技術で加速する戦略的なデジタル変革へと発展させる必要がある。「いつでも」「どこでも」「誰でも」アクセスできる情報から学習された生成AIが答えることのできるユニバーサルな知識が利用できることでも業務の効率化には寄与できるが、人工知能技術の活用は本来それにとどまらない。「今だけ」「ここだけ」「その人にだけ」といった、状況に依存した固有の情報の中にある、価値の構造を新たに発掘し、それを多くの関係者が共通に認識することでさらに飛躍的な生産性の向上と価値の創出が期待できる。従来のインターネット上にはない独自のデータから暗黙知や潜在的な価値の構造をモデル化し、再現性高く価値を創出できるサービスを実現するために人工知能技術が活用できる。そのためにはマクロなビッグデータだけではなく、ミクロな所にある独自の価値ある情報や暗黙知を掘り起こす必要があり、これまでIT化が十分に進んでいなかった領域にも積極的に人工知能技術を導入することが重要である。
6. 共創的アプローチとプラットフォーム
価値構造をモデル化し、価値につながる目的変数をデータ化する効率の良い方法は、何が価値かを判断できるステークホルダーの評価を対話的に集める「マルチステークホルダープロセス」の仕組みをプラットフォームとして構築することである。これは共に価値を創出する共創的アプローチであり、そのプラットフォームがAIの学習データを集めるためにも効果的である。これはデジタル変革における生産性向上の効果も飛躍的に増大させることになる。これまで分断されていた関係者同士をつなげることで、組織のモジュール化とネットワーク化が進み、ネットワーク効果によって多数のモジュール間の掛け算ができるようになることで組織の生産性は飛躍的に向上する。このように人工知能技術の社会実装が進むことで幅広くデータを収集できるようになるとともに、その際に何を価値として実現するかという戦略を考え、価値構造をモデル化しながら共創的なアプローチによって関係者間をつなぐプラットフォームも構築する必要がある。
人工知能技術は一度使っただけでは十分な性能が出せない。AIを思いどおりに動かすには、どうしたらよいかという試行錯誤とデータの収集が必要といえる。各自がそれぞれ同じような失敗をするのは、非常に効率が悪い。失敗事例や経験、ノウハウを共有する方が圧倒的に有利になる。価値を共創できる関係者がプラットフォームでつながることは実証プロジェクトを通じて問題点やノウハウを共有することにもつながる。そこで、活用事例を蓄積し、水平展開するための人的なプラットフォーム構築も行われている。人工知能技術の社会実装とそれを拡大するために、特定の分野の壁を乗り越えるトランスディシプリナリ型の活動を可能にする場づくりと、活動の可視化、再現可能にする仕組み化の実践として「国立研究開発法人産業総合研究所 人工知能技術コンソーシアム」がある(参考文献[4],[5],[6])。そこでは同じ関心を持つ関係者を多様なワーキンググループ(WG)に集め、多くの実証プロジェクトを展開し、そこで事例集積効果を高めることで人工知能技術による成果が出やすくなっている。再現性と成功確率を高めるために、繰り返し実証実験を異なるフィールド、異なるメンバーでも行う。個々の実証実験で得られた情報、知見の共有を促進するため各WG間、地域支部との交流も促進している。こうした活動は社会・産業のデジタル変革を進めるための人材育成、スキル向上、共有できる情報基盤整備、事例の蓄積にも役立つ。人工知能学会では異分野の研究者や実務家のための課題と技術の俯瞰図として「AIマップ」(参考文献[7])を作成し無償配布している。これを活用することでさまざまな人工知能技術とそれを活用して取り組める課題をマッチングし、人工知能技術を活用できる人材育成を促進することを目指している。
従来のビジネスモデルや産業構造の生産性向上と並行して、人工知能技術活用の新たな事例集積、新たな活動と経験を通じた人材育成、関係者間の評価と対話が行えるプラットフォームを構築する効果は大きい。組織間、分野間を超えたつながりを全国各地、幅広い産業分野にも発展できるような共創の場、情報基盤を構築することが、我が国における産業競争力、基盤強化のために重要な課題であろう。
7. おわりに
これからの社会のデジタル変革においては、人工知能技術そのものだけでなく、それを進める産業人材の育成、関係者をつないでデータと事例、評価を蓄積し活用するプラットフォームの整備、産業間の連携と、研究コミュニティでの実践、課題解決のためのコミュニティの橋渡しが必要不可欠である。こうした異分野の交流、共創的な活動を定着させるためには、これまでにない経験を開始し、展開するための場づくり、マインドセットの醸成の場が不可欠である。
今、日本は旧来の産業分類の枠の中での成功体験に基づく産業構造の細分化が推し進められた結果、逆に、新たな人工知能技術活用のステージにおいては新規性の高いビジネスモデルの創出、データの共有や技術導入を阻害する場面も見られる。従来の硬直化した枠組みからゆるやかに新しい枠組みへと発展し、新規技術導入とデータ収集が効果的に行えるユースケースの開発を進めるためには、新たな可能性を学ぶための実証実験を継続的に行い進化する仕組みが重要である。従来のビジネスモデルや産業構造の効率性・生産性向上と並行して、新たな活動と経験を通じた人材育成、技術評価が行える実験環境を用意する必要がある。さらに、それを全国各地、幅広い産業分野にも拡大できるような共創の場、プラットフォームを構築することが、これからの我が国の産業競争力、人工知能技術活用の情報基盤強化のために欠かせない取組みであり、極めて重要な役割を果たすだろう。
参考文献
[1]鈴木譲他,確率的グラフィカルモデル,共立出版,2016
[2]本村陽一,ビッグデータを活用する確率モデリング技術~社会実装の取り組みと課題~,統計数理,66巻2号,p.213-224,2018
[3]人工知能学会編,フレーム問題,人工知能学辞典,共立出版,2018.
[4]本村陽一,産総研人工知能技術コンソーシアムにおけるトランスディシプリナリー型のオープンイノベーション~人と相互理解できる人工知能技術によるSociety5.0実現へのシナリオ~,Synthesiology,13巻1号,p.1-16,2020
[5]本村陽一,豊田俊文,AI社会実装のための共創的アプローチ ~産総研人工知能技術コンソーシアムの取組み~,人工知能学会誌,37巻2号 p. 187-194,2025
[6]産総研人工知能技術コンソーシアム:ホームページ,http://www.ai-tech-c.jp,2024
[7]人工知能学会,AIマップ:https://www.ai-gakkai.or.jp/aimap/,2025