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FRBを悩ますトランプ政策の不確実性
2025年8-9月号
ウクライナ戦争勃発直後の高インフレで米国連邦準備理事会(FRB)は政策対応の遅れを厳しく批判されたが、昨年までの2年余りの金融政策運営は比較的気楽だったのではないか。働き盛りの世代の労働参加率上昇や移民の大量流入で労働供給が増えたため、高めの成長が続く一方、人手不足が緩和してインフレ率は低下したからだ。しかし、トランプ政権が本格的に始動するにつれ、経済政策を巡る不確実性が急速に高まり、FRBは苦しい立場へと追い込まれている。
もちろん、最大の原因はトランプ大統領が打ち出した大幅な関税引上げ策だ。現在も、日本を含む多くの国々と関税交渉が進められている最中であり、前提条件があまりにも不透明なため、トランプ関税の影響を定量的に評価するのは極めて難しい。しかし、公表されている関税策が全て実行されれば、米国景気は大きなダメージを受け、インフレ率も目立って高まることは明らかだ。このスタグフレーションというリスクは、利下げでも利上げでも十分に対応できない、中央銀行にとって最も厄介な環境である(因みに、トランプ政権が押し進める移民流入の抑制も景気を押下げ、物価を押し上げるスタグフレーション要因である)。
もちろん、今後各国との交渉で関税率が軽減されることが望まれるが、仮に税率引下げが実現しても、これまでの政策的朝令暮改によって企業の経営環境の不確実性が大幅に高まったことは否定できない。標準的な経済理論によれば、その事実自体が不可逆性の強い投資活動に大きな悪影響を及ぼすと考えられる。不確実性が高まると、企業は不確実性が低下するまで様子見をするインセンティブを持つからだ。しかも、これは米国内の投資だけでなく、その他の国の投資にも、さらにはトランプ政権が強く期待していると思われる海外企業による米国への投資にも当て嵌まる。
また、トランプ関税は様々な駆込みとその反動を通じて、経済指標に大きなノイズを生み出している。例えば、今年1~3月期の米国の実質GDP成長率は3年振りのマイナスとなったが、これは関税の大幅引上げを予期して駆込み輸入が急増したためである(輸入はGDP統計上控除項目となる)。その他の経済指標をみても、マインド指標とハードデータの間に大きな乖離が目立つ。マインド指標では景気悪化、インフレ期待上昇が見られる一方、小売り売上げ等は関税率の上昇が限定的だったり駆込み消費があったりして、まだ堅調を保っている。このように統計データが大きなノイズを伴う中で、適切な政策判断を下すことは極めて困難だと言わざるを得ない。
さらに、トランプ関税が金融市場にも大きな混乱をもたらしたことは記憶に新しい。とくに、大統領が「解放の日」と呼んだ4月初に、全く根拠に乏しい税率を同盟国・友好国にも課す相互関税案が公表されると、米株、ドルだけでなく米国債まで売られるトリプル安となったのだ。これで、トランプ政策が米ドルの基軸通貨としての地位をも脅かすリスクが明らかとなった。トランプ政権が急いで相互関税の実施を一時延期したのも当然と言える。
また4月には、トランプ大統領がFRBの利下げが遅いと批判し、パウエル議長の解任まで求める事件があった。こちらも、再度のトリプル安という形で市場の反乱を招き、大統領は議長解任案を取り下げることとなったが、この問題も大きな後遺症を伴う可能性がある。今後、米国景気が予想以上に悪化した場合、FRBは当然利下げを検討するだろうが、上記の介入事実があると、人々はこれを「トランプ大統領の圧力に屈した」と受け止めてしまうかも知れない。そうなれば、市場は長期金利上昇・株安(景気悪化要因)やドル安(物価上昇要因)など、FRBの意図とは逆方向に反応する恐れがある。
このように、トランプ大統領の政策と発言に伴う不確実性の増大はFRBの金融政策遂行を著しく困難なものとする可能性が高い。