『日経研月報』特集より

企業と創造

2023年12-2024年1月号

渡辺 一 (わたなべ はじめ)

株式会社日本経済研究所 代表取締役会長

近年の大きな社会の変化の中で、既存の産業も既存事業の変革や新たな分野の創造を迫られています。月報の今回のテーマの「イノベーション」ということに関連して私が感じていることを記して参ります。
前職の日本政策投資銀行で責任者となった4年間(’18/6~’22/6)にいくつかの転換点がありました。
’19年8月米国のビジネスラウンドテーブルでステークホルダー宣言がありました。それまでの株主利益至上主義からの脱却を覗わせるものでしたが、その後のさまざまな動きをみると期待していたほどの変化はなかったのではないかと感じています。ただ、この後続いたコロナ禍や温室効果ガス対応の中で企業の存在意義を再定義する必要から、従来からあった「パーパス経営」が再度注目されることに繋がっていきます。
’19年末からのコロナ禍は経済社会へ大きな打撃を与えるとともに生活様式にも大きな影響を与えました。これは若者を中心に生活を大事にしようという元々あった動きに拍車をかけるものだったのかもしれません。いずれにしろ通勤需要の減少、オフィス・住宅のあり方の変化、時間消費需要の拡大などは今後も続いていきます。
’20年10月の菅総理のカーボンニュートラル宣言により’50年CO2ゼロエミッションに向けての号令がかかりました。欧州を中心とする世界的な大きなうねりの中で企業トップは経営の大きな舵取りを迫られています。
’22年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、安全保障、資源エネルギー調達、世界市場の不安定性などさまざまな問題を投げかけています。自由経済と効率性追求という暗黙の前提に依拠するだけの経営では不十分であるという課題が経営陣に課されました。
責任者の期間から外れますが、’22年11月OpenAIが公開したChatGTPはAIの利用のあり方また規制のあり方の検討を加速させ、今後の仕事の仕方や社会構造を大きく変えようとしています。
こうした変化の中で企業社長は何を考え判断していったのでしょうか。政策投資銀行は毎年秋口に各業界主要企業の社長と面談する機会を設けています。
’20年の面談はカーボンニュートラル宣言の直後から始まりました。このときの面談の印象はCO2ゼロに対して「右往左往」というのが正直なところでした。化石燃料への依存が多い電力、最終的にLNGをどうするのか考えなければならないガス、石油精製、石炭を原料としても使う鉄鋼、EV化を加速するも既存のサプライチェーンを抱える自動車、そして運輸、物流、不動産まですべての業種の社長が社業の新しい展開を考えることを加速した時期でした。またコロナ禍のまっ只中で航空、鉄道・バス、観光業界を中心に企業の生き残りへの模索が続いている時期でした。疫病はいつかは終息すると歴史は教えていますが、その最中にはそう思えない心理が働くものです。経営者には胆力が必要とされました。
1年後の’21年の面談では物事が進み始めていました。例えば水素やアンモニア事業での業種を超えた連携や提携、業種によっては廃業と創業に近いような業態の変革が準備されつつありました。軽重はありますがその道程は遠く、困難に思えるものもあります。そしてその達成には、産業全体の転換やイノベーションが求められている状況です。
我が身を振り返るに、銀行業も大きな変革時期にあります。バーゼル規制の強化に加えシリコンバレーバンクなどの破綻により社会資本としての金融ネットワーク維持のために資本蓄積が求められる中で、ROEの向上やPBR伸張は難しい課題です。かつては展開を競った店舗も不良資産になりつつあり、DXにより迅速かつ低手数料化される送金、決済機能は果たしてどういう存在になっていくのか。目指すビジネスモデルをまだ模索中というところでしょう。
新しい土俵で企業を継続させるためには、役職員共通の新しい価値観が必要です。その拠り所として「パーパス」を再共有しようという試みが多くの企業でなされ困難な目的を達成する企業風土を作ろうとしています。そうした中でオーガニックでない大きな変革を達成するためには「常識」という殻を打ち破るエネルギーとリーダーシップが経営者には求められます。「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」とは20世紀を代表する科学者アインシュタインの言葉です。
社長の仕事は「答えのないことを判断する」ことだと思っています。

著者プロフィール

渡辺 一 (わたなべ はじめ)

株式会社日本経済研究所 代表取締役会長

1981年東京大学工学部卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。都市開発部長、執行役員経営企画部長、取締役常務執行役員、代表取締役副社長等を経て、2018年6月から2022年5月まで代表取締役社長に就任。同年6月に顧問となる。2023年4月より株式会社日本経済研究所 代表取締役会長に就任し、現在に至る。