医療と介護のサステナビリティ(第1回)

2023年8-9月号

〈話し手〉 池上 直己 (いけがみ なおき)

慶應義塾大学 名誉教授/久留米大学医学部 客員教授

〈聞き手〉 青山 竜文 (あおやま たつふみ)

株式会社日本政策投資銀行設備投資研究所 上席主任研究員

今回から、医療・介護分野を持続的に維持発展させていくために必要な事柄について、有識者の方々へのインタビュー(もしくは寄稿)連載を開始します。第1回は、医療経済学者の池上直己先生にご登場いただき、インタビューを実施しました。池上先生はJ.C.キャンベル氏との共著『日本の医療 -統制とバランス感覚-』(中公新書 1996年8月)をはじめとしてさまざまな書籍で、日本の医療・介護の現況と課題を、合理的・実践的かつ歴史的なパースペクティブに基づき執筆されてきましたが、今回は聞き手が前連載(「続・「わからない」から始めるヘルスケア」)においてテーマとしてきた問題意識をぶつける形で話をしていきます。

1. 医療提供体制に関する考え方

-お聞きをしたい話は多々ありますが、今回は医療提供体制の話から入っていきたいと思います。
池上先生は、『社会保障旬報No.2878(2023.1.1)』では、地域医療構想について、病床種の名称の問題、構想区域の適切さ、など幾つかの論点を述べられています。
一方、『日本の医療と介護』(日本経済新聞出版社 2017年4月)では、「医療計画の歴史と課題」という章の中で、がん死亡率を2割低下させるなど大きな目標を強化するための社会計画に医療計画を位置づけ、会議などに提出されるデータを各病院の将来計画内でシェアし、病院の行動の自律性を踏まえたうえで、各病院の計画を調整する場として会議などが活用されるべき、という話をされています。
これらの観点から、昨今の医療体制整備の議論をどのように見ていますでしょうか。

池上 もし白地に絵を描くなら、どういう体制が望ましいか、というところから話を始めましょう。診療所レベルに何でも相談できる医師がいて、その医師が総合医としてゲートキーパー(関所)となり、それぞれの専門医を受診できるように紹介する。そして専門医は、それぞれの専門医療機関において患者に医療を提供する。そして、専門治療が終われば、患者は診療所の医師のもとに戻る、というサイクルです。これは医学的にも経済的にも望ましい姿として提示されています。
しかし、実際には、例えばある患者に腰痛があったとします。腰痛があり、プライマリ・ケア(注1)の医師にかかった際、「それは年齢のせいですね、痛み止めを出しておきましょう。」という対応がなされて患者は満足するでしょうか。患者は「新聞にこういう治療法が出ている」という話を読んでいるかもしれません。そこで、かかりつけ医に「専門医に行っても治らない」と言われても患者は納得しないかもしれません。その場合、どうすればよいでしょうか。

-実際によくありそうな話です。

池上 イギリスにおけるあまり知られていない対応について説明します。まず、お金で解決するという方法があります。公的な医療におけるGP(注2)のルートではなく、病院の先生を待たずに私費医療で診療を受けるルートです。私費といっても、多くの場合、患者自身が直接支払うのではなく、民間の医療保険が支払います。民間の医療保険には資産家だけでなく、例えば労働組合など組合費から保険料を拠出している場合もあります。
患者が私費医療と民間保険を利用する理由は、GP側としては、頻回に腰が痛いと訴える患者を、専門医に紹介しますので、専門医を受診したい患者が多くたまります。その結果、順番通り待てば、専門医の外来を受けるのに2か月、手術をするのに1年も待つことにもなります。しかし、私費であれば行列をバイパスして早く診てもらえます。イギリスの専門医は、私費医療に当たることができます。但し、その時間は勤務時間の何割までと決まっています。私費医療を行わず、フルタイムで公営医療に従事する契約をしている医師もいますが、特に外科系では少数派です。
こうしたイギリスのやり方が成り立つには、診療所におけるプライマリ・ケアの診療と病院における専門医療が完全に分業していないといけません。そのうえで、お金があれば迂回できるルートがあることを世論が容認する、ということがもう一つの条件となっています。

-後者については非常に泥臭い話ではありますが、前者の「完全な分業」という側面をもう少し詳しく教えていただけますか。日本では「かかりつけ医」制度においても「かかりつけ医」自身が数的に足りないのでは、という話もあります。

池上 学部教育の段階で、総合医に関する授業に充てる時間と専門医になるための時間が均衡していることが重要です。しかし、こうした医学教育の改革を行う前から、イギリスにおいては、総合医と専門医の数がバランスしていたことに着目すべきです。
その理由は、専門医団体が、専門医のポスト数にあわせて、専門医になる人数も制限していたことにあります。例えば耳鼻科の専門医はイギリスで何千人と決まっているので、その枠に合わせた数の選ばれた医師が耳鼻科の専門医になれます。このように専門医の人数は各診療科で決まっていますので、専門医が多すぎて総合医が足りないという事態がありません。

2. 日本での役割分担に関する視座

-そうした「分業」が総合医や私費診療というプラクティカルな部分も含めて成り立っているのがイギリスだとして、そうした制度のない日本の場合、分業のあり方が異なることは必然でしょうか。

池上 日本では、今でも大学の医局に入る医師が多いです。しかし、その中で出身大学の教授になるのは同期のなかでも15人に1人程度です。教授になれば、15年程度は在職しますので、この割合になります。確かに教授になれなくても、大学の系列の病院で専門医として診療できますが、病院をやめて開業すれば、専門領域に特化することが次第に難しくなります。
しかし、40年ほど前までは診療所を開業し、拡大させ、例えば自分の専門である整形外科の病院を作る、ということができました。ところが医療計画が制定されると、病床規制と開院規制が行われるようになり、医師が診療所を病院にするという、医師にとっての夢を実現できなくなりました。
一方、既存の病院は、従来から「家業として守るべきもの」といった存在でした。
地域によって医師の開業、病院への発達は、日本の各々の地域で異なっていますので、病院はそれぞれの地域でガラパゴス的に発達しました。その結果、日本の地域ごとに違う医療提供体制が形成されました。公立病院が基幹病院になっている地域が多いのですが、民間病院が強いという地域もあり、その中にさまざまなグラデーションがあり、また診療科によっても異なります。

-そうした枠組みの中では、池上先生も『医療と介護 3つのベクトル』(日本経済新聞出版 2021年4月)において、重要なベクトルに「公平性」をおいていますが、医師数の偏在など元からの違いは公平性の議論に含みにくいでしょうか。

池上 発達のパターンにおいて、医師も病院も西が多く、東にいくと少なくなります。そうした地域格差自体は所与として、医療計画の「必要病床数」が東北、関東、九州などのブロックごとに規定されています。したがって、全国基準で規定されているわけではありません。
これに対して、イギリスの場合、地域差をなくすために大変ドラスティックな取組みを行っていました。例えば日本ではお茶の水界隈に3つの医科系大学がありますが、イギリスにおいてもロンドンに大学病院が集中していました。そこで、こうした病院を統合する一方で、地方の病院は整備されました。「医師が診療したい」ロンドンの病院は整理統合の対象になり、代わりに地方を整備するという形で、公平性が追求されたわけです。

-徹頭徹尾、合理性を追求していますね。

池上 ちなみに日本には、医療リソースの乏しいエリアの水準を引き上げ、豊富なエリアの水準を切り下げる、という発想は全くありません。

-そうしたなかで、今日本で進められている地域医療構想の議論をどのように見ていますか。

池上 例えば、近接地域に150床の公的病院が2つある場合、それを統合するなら資金も用意する、というのが日本の対応です。その際、大都市圏は難しいので、地方が中心です。しかし、地方においても、過疎化が進むエリアでは病院自体が存在することが重要なので、たやすく統合再編に合意できないし、また、その病院をどこに作るか、という点でも対立するため、障壁が多いです。そのうえ国が用意する整備資金は全体で200億円程度に過ぎません。成功事例は幾つか出ていますが、それはさまざまな要因が重なりあって実現したと思うので、それらを普遍化して、日本各地で十分な対応ができるのでしょうか。
そうした意味で、今回のテーマのうち、役割分担に関わる「かかりつけ医」や「地域医療構想」の議論を最初にしたのは、いかに現在の提供体制を変えるのが難しいか、を認識していただきたかったからです。
そして、その難しさを踏まえると、日本においては診療報酬や介護報酬というツールの活用が各種の課題対応の中心に収れんされてきたと思っています。

3. 介護費の上昇

-その流れでいうと、近時、池上先生は、介護費用の上昇に警鐘を鳴らす原稿を書かれています。診療報酬と介護報酬の立て付けの違いを少しご説明いただけますか。

池上 まず医療の状況について説明します。病院の収益は診療報酬で規定されているので、対応は限られています。民間病院がチェーン化する動きもありますが、これも基幹病院がハブとなるように各病院のサービスを整理するわけではなく、各々の病院の管理の効率化を図る、という対応に留まります。一方、国は診療報酬の改定を基本的に現状の維持を図りながら高齢化と技術進歩による医療費の増加に対応して行ってきました。
仮に診療報酬を改定しなかったら、高齢化により医療費は総額で年1~2%ずつ増えていきます。高齢化による影響というのは、単に65歳以上が増えるということだけではありません。一人当たりの医療費は、75~84歳、85歳以上と年齢階級が高くなれば、確実に増えていき、より高齢な年齢階級の人口が増えているので、医療費全体は毎年、確実に増えることになります。高齢化の影響は、65歳以上の人口の増加よりも、5歳区分ごとの年齢階層の増加の方が重要です。その結果、65歳以上の人口増が減り出しても、その中での高年齢層の増加が続くので、医療費の増加は続くのです。さらに、こうした長寿化だけでなく、技術進歩、特に新薬の登場によっても医療費は増えます。ただし、薬については、薬価の改定で毎年引き下げていますので、薬剤費の伸びは圧縮されています。

-一方、上昇を危惧されている介護費用についてはいかがでしょうか。薬価のような制御弁がないので、より労働に関するコストとの相関が強くなるのでしょうか。

池上 労働市場の構成を考えると、医師・看護師は収入が毎年上がらなくても、基本的に医療の世界で働いていくことが想定されます。しかし、介護の労働市場は、一般の労働市場と同じように出入りが自由です。他の職場の条件がよければ、そちらに移るということになり、そうした意味でも統制を取りにくい環境にあります。こうした事情に対応するため、介護報酬の「単位」を円に換算するレートは、地域により異なり、ちなみに東京23区は20%ほど高くなっています。
一方、診療報酬の円換算レートは全国で同じです。医師の給与は、物価が高い東京の方が相対的には割安ですが、生活環境、子供の教育環境などを考えると、医師自身は東京で働くことを志向するでしょう。イギリスでは一般医か専門医かで処遇が分かれますが、日本の勤務医は地方か都市かで給与に差が設けられ、大都市の給与は低く、郡部の病院は高いです。こうした処遇に差を設けることで、均衡がとれているともいえます。

-とはいえ、の話なのですが、池上先生の論文のトーンをみると、「日本の介護はグローバル比較ではうまくいっている」という論調も感じられます。もちろんここで話されてきたようなコスト構造への指摘はあるものの、という話ではあると思いますが。

池上 介護保険のコストを負担することに対して、産業界が介護保険の創設に反対しなかった点がうまく展開できた点です。企業は、40~64歳までの第2号被保険者の保険料の半分を支払う仕組みになっています。具体的には、使用者は給与の約1%を介護保険料として支払っていますが、従業員が介護保険から給付を受けることは、ほとんどありません。
ちなみにドイツの場合、介護保険の給付対象者は、年齢や障がいとなった理由に関係なく、全国民が対象です。しかし、雇用者側は介護保険の導入に強く抵抗し、祝日を1日減らすことで妥協しました。なお、ドイツの障がい者は、介護保険の給付の方がこれまでの障がい者支援より少なかったので、介護保険に移管後も、これまで障がい者の給付を受けていた者に限って、暫定措置として、同じ水準で継続する形にしました。しかし、新規の障がい者に認定された者については介護保険の給付に統一する方法をとりました。
一方、日本ではそういう形はとらず、今まで福祉で一人暮らしや低所得者に行っていたサービスを、介護保険で給付する形となっています。この結果、介護保険の開始初期に最も増加した区分は介護度の低い「要支援」対象者でした。こうした一度拡充した介護保険の給付を減らすことは難しく、今後の介護費用増に大きな影響を及ぼす形になっています。

-先述の『医療と介護 3つのベクトル』では寄木細工的に各種制度ができてきたが、そのままにするのではなく、医療と長期ケアの統合をする必要があるとも書かれています。介護費用の伸びも大きいので、以前とはバランスも変わってきている気はしますが、こうした発想は今も同じですか。

池上 医療保険がこれだけ分かれており、介護保険も独立しているので、一挙に統合再編はできないとは思います。しかし、それでも財源とサービスの整合性を高める必要があります。そうでないと医療と長期ケアがオーバーラップする部分につき、どちらで請求をしたほうがいいか、という損得勘定の話になってしまいます。こうした議論は、実は人口が少ない地方の方が都市部よりも適正化が早く進むでしょう。

-確かに地方部の方が医療と介護のバランスが取れているケースはあると実感します。

池上 そうしたモデルを東京など首都圏にも移植できるかどうか、というのが一つのポイントでしょう。競合する医療機関が多いことと、再編するための整備資金がほとんど用意されていないことが課題です。

4. 質の評価と診療報酬・介護報酬

-話は変わりますが、介護分野ではLIFE(注3)を用いた取組みが始まっています。質の評価という観点ではどのように見ていますか。

池上 介護分野において、質に関するデータベースは必要であり、私も当初からその必要性を主張してきましたが、実際には制度として対応していませんでした。
医療の場合、例えばがんがその治療により治癒率が改善したかどうか、という評価を厳密に行うには、治験環境の整備など難しい部分があります。ただし、医療は医学的根拠に基づいて提供されているので、レセプト(医療機関から保険への請求書明細)で過剰な医療を審査し、枠を離れた医療費の請求を認めず、査定できます。そのうえ、医療現場で「指導」という形でレセプトとカルテが照合され、医療機関の対応が不適切であれば、過去半年から1年にわたって請求した分を返還しなければいけません。さらに架空請求等の重大な違反が見つかった場合には、保険を扱う機関としての認可が取り消されます。これも「質の保証」といえると思います。
しかし、介護ではそうした方法をとることが容易ではありません。介護が必要な程度によって支給限度額が決まり、その額までのサービスを受ける権利が利用者に与えられているので、ヘルパーが何度利用者を訪れるのかは利用者の要望次第です。そのなかで「無駄な介護」という概念を規定すること自体ができません。
厚労省のLIFEによりデータを取り、ADL(着衣・トイレ使用における介助の程度)の改善によりボーナスを支払うという構想ですが、そこには、介護保険の根幹に関わる問題があります。
例えばリハビリのことを介護では「機能訓練」と言います。医療ではリハビリが受けられる期限を骨折の場合は150日までと制限しています。その期間を過ぎて、リハビリを施しても改善する確率が低いからです。こうした観点から「改善は医療保険」、「維持は介護保険」ということで区分けされてきました。したがって、「介護で改善を目指す」ということにはある種の矛盾が内包されています。

-池上先生の本でも質の評価に関して、米国の「質の指標」(クオリティ・インディケーター)に関する話が出てきますが、その部分との関係はどうでしょうか。

池上 質を評価する際に大事なことは、日常業務において、利用者の状態を体系的に把握し、改善できる点を改善するようにケアプランを作成するプロセスが存在することです。
私は以前から各事業所の質を評価するには、共通な評価方法を用いて、利用者の状態が把握され、また評価が日常業務に組み込まれている必要があると主張をしてきました。しかし、介護保険の導入時に、介護の各業界団体が利用者の状態を評価する方法を個々に開発し、それらのツールの利用が容認され、データの提出も求められませんでした。その結果、利用者の状態を改善・維持することを目標としてケアプランを作るという発想は定着せず、20年以上が経過しています。

-今回のような流れで質の評価が可能になり、そしてそれがケアプランに落とし込まれて、維持・改善につながる、ということは理想論なのでしょうか。あるべき姿にも思われますが。

池上 私はあるべき姿だと思います。介護事業者は最小のコストで、最大の報酬が得られるように利用者を獲得し、サービスを提供したい点に留意する必要があります。こうした点を踏まえて、LIFEのためにミニマムに必要なデータは何か、簡単であるが、妥当性のあるADLのデータは何か、から再出発する必要があります。その際、注意するべき点は、事業者が改善しやすい利用者を囲いこむ動きです。したがって、評価する際は、各事業所の利用者の「リスク調整」をしておかないといけないのです。しかし、それができる形には現状はなっていません。例えば、認知症があればADLの改善は難しいので、利用者における認知症の程度と割合で結果を調整する必要があります。

-ここまでの話だけでも、「診療報酬・介護報酬というツールにより一定のバランスをもって医療費、介護費が抑えられてきたが、それだけでは対応できない課題も常に存在している」という構造が理解できました。

池上 結局そうした課題に対応するには、支払いの条件をどのように精緻化するのか、ということになるでしょう。診療報酬や介護報酬はサービス単位に支払われるものであり、結果がよくなったかではなく、どんなサービスを提供したかで支払われていますので。

-そのなかで、質の評価や状態の改善と報酬をリンクさせることによるブレークスルーはあるでしょうか。

池上 医療における回復期リハではそれができています。これはリハの歴史にも関わる話です。もともとリハ科は大きな科ではありませんでしたが、脳卒中直後からリハを実施すれば改善がみられるという事例が徐々に現れ、医療界全体での役割が上がっていきました。
イギリスにおいて「リハを国の重視」とすることが目的であれば、まず専門医のポジションを増やすことから始めます。しかし、専門医を養成するには時間がかかり、また、医師を他の診療科からリハ科に移すという発想はありません。しかし、日本は診療報酬でリハに点数をつければ、医師は勉強してリハに移ります。

-そうした形で質は大丈夫でしょうか。

池上 診療報酬を通じた施策の浸透ができるところは日本の強みであり、「良い・悪い」という話ではありません。ちなみにリハの報酬において重要なことは実施できる「日数」を限定することです。リハは長々とやっても駄目で、傷病によってリハを請求できる日数の上限が診療報酬で規定されています。そうした仕組みも重要です。

5. 実践的な医療・介護の変革のために

-私がこの連載に移行する際に問題意識として持っていたのが、医療や介護事業者の個々の経営努力と地域全体の医療・介護の質の向上がどのようにリンクするか、ということでした。今日の話でも、診療報酬・介護報酬がいかにプラクティカルに機能してきたか、の一端がわかりますが、やはり質の議論を入れ込むことで変化の可能性があるのではないか、とは感じます。

池上 その点でいえば、一つのポイントは「都道府県毎の診療報酬がない」ということです。新型コロナ対策となると各都道府県の対応が前面に出てきましたが、その際、医療・介護において、診療報酬、介護報酬における運用上の裁量は全く発揮できませんでした。
今後の課題は、例えば病院を統廃合する場合に、県独自の加算を設けるという方法もあります。日本では「診療報酬と介護報酬が変わらないと提供体制は変わらない」ので、逆にいえば、都道府県に診療報酬について一定の裁量権を持てば、有力なツールになるでしょう。
医療、介護はクライシス・モードでない限り変わらない側面が強いのですが、新型コロナでの体験が冷めないうちに、具体的に診療報酬の請求要件を見直していく、エビデンスを作るなどといった各地域に応じた「運用」ができるようになるかどうかが将来の試金石であると思っています。
最初の話に戻りますが、地域医療構想の仕組みの問題点を話しました。次に、診療報酬の限界、そして、診療報酬をモデルに創設され、改定されてきた介護報酬について話をしました。いずれにも限界があるので、それを乗り越えるために、診療報酬や介護報酬における裁量権を都道府県に与えることが一つの方法であると思っています。

-日本が国として運営してきたことを地方レベルでどう運営するか、ということですね。

池上 着実に改善するためには、具体的なツールが必要です。そして、そのツールを使いこなせる都道府県レベルでの人材づくりも肝要です。

-池上先生の書籍は課題の指摘も多いのですが、「現状をどう良い方向に変えるか、ということを合理的かつ実践的に考えること」に眼目があるものとして、私は読んできました。そのために必要なポイントをどう勉強していくか、ということを改めて理解した気がします。有難うございました。

(注1)日常的な疾病やケガに対応する1次医療。
(注2)General Practitionerの略。家庭医、一般医などと訳される。
(注3)Long-term care Information system For Evidenceの略で科学的介護の基盤となるシステム。

著者プロフィール

〈話し手〉 池上 直己 (いけがみ なおき)

慶應義塾大学 名誉教授/久留米大学医学部 客員教授

1949年東京都に生まれる。1975年慶應義塾大学医学部卒業。1981年医学博士。慶應義塾大学総合政策学部教授、ペンシルベニア大学訪問教授、慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授、聖路加国際大学公衆衛生大学院特任教授等を経て現在に至る。医療・病院管理学会理事長、医療経済学会会長、及び中医協の調査専門組織委員や終末期医療に関する意識調査等検討会委員等を歴任。
主な著書 『日本の医療-統制とバランス感覚』(J.C.キャンベルと共著、中公新書、1996)、『臨床のためのQOL評価ハンドブック』(福原俊一他と編著、医学書院、2001)、『インターライ方式ケアアセスメント』(J.モリス他と編著、医学書院、2011)、『包括的で持続的な発展のためのユニバーサル・ヘルス・カバレッジ:日本からの教訓』(編著、世界銀行、2004)、『日本の医療と介護 歴史と構造、そして改革の方向性』(日本経済新聞出版社、2017)、『医療管理 病院のあり方を原点からひもとく』(医学書院、2018)、『医療と介護 3つのベクトル』(日本経済新聞出版社、2021)

〈聞き手〉 青山 竜文 (あおやま たつふみ)

株式会社日本政策投資銀行設備投資研究所 上席主任研究員

(株)日本政策投資銀行設備投資研究所 上席主任研究員
1996年日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)入行。2005年米国スタンフォード大学経営大学院留学(経営工学修士)を経て、2006年よりヘルスケア向けファイナンス業務立ち上げに参画し、以降同業務に従事してきた。2021年(一財)日本経済研究所常務理事を経て、2022年より現職。著書に『再投資可能な医療』『医療機関の経営力』(きんざい)。