医療と介護のサステナビリティ(第2回)

2023年10-11月号

〈話し手〉 占部 まり (うらべ まり)

医師/宇沢国際学館 代表取締役

〈聞き手〉 青山 竜文 (あおやま たつふみ)

株式会社日本政策投資銀行設備投資研究所 上席主任研究員

連載の2回目は、「社会的共通資本としての医療」がテーマです。この話題を語るにふさわしい相手として、今回は「社会的共通資本」の提唱者である故宇沢弘文先生の長女である、医師・占部まりさんに登場いただきます。

1. 今の時代にあった医療及び介護とは何か?

-宇沢弘文氏は医療につき、医療に関わる職業的専門家が中心になり、医学に関わる科学的知見に基づき、医療に関わる職業的規律・倫理に忠実なものでなければならない、と述べられています。ここから話を始めていきましょう。

占部 社会的共通資本としての「医療」の本質について、父(宇沢弘文氏)は「サービス」ではなく「信任」であると言っていました。「患者の困った状況に、医療者が最善を尽くす」ことが信任に基づく行動です。そして、私自身は、そうした形での医療行為に対して責任を持つ集団が「社会的共通資本としての医療」を管理すべき、と考えています。そのためには、「今の医療状況」をどう捉えるかも大切な点です。
医療は変革期を迎えています。国民皆保険は素晴らしい制度です。また、いつでもどこでも自由に医療機関を受診できるフリーアクセスはそれが出来た時代には大変有益でした。例えば主たる死因が感染症の場合、診断と治療が「1対1」対応をしていた時代でした。だれでも、貧しい人でも医療に気軽にアプローチできるということが感染症の収束には欠かせません。
しかし時代は大きく変わりました。私自身が子育てをほぼ終えて、医療現場に本格的に復帰した10年間で、70代は若い(リハビリテーション効果が出やすい)という感覚が、80代も若くそして90代は個人差があるもののリハビリ効果の出る人もいるという具合に変化しています。また死因として老衰が増えています。老衰という診断には、その方の人生のあり方やそれまでの過程が重要になります。その瞬間の“異常”に対応することだけでは診断はできません。このように、医療は年齢などの個々の患者の状況に応じたものとなり、脳血管障害であれ、大腸がんであれ、「1対多」対応に変わってきました。そこには患者だけでなく、周りの人々も大きく関わってきます。地域包括ケアが機動力になっての変化ともいえます。
また1946年にWHOは「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」という定義を発表しましたが、現在、こうした定義での健康にあてはまる人は乏しく、例えば厚生労働省の調査では、日本人の3-4割がなんらかの睡眠障害の症状を呈しているという調査結果もあります。

-「健康の考え方」という意味では、オランダの「ポジティヴヘルス」で定義されている概念は、日本の現状とは大きく異なるように思われますが、この点をどのように考えていますか。

占部 ポジティヴヘルスは「困難にたちむかう能力」を健康として定義しようというものです。例えば、今の日本の場合、うつ状態になると病院に行き、そこで対応がなされ、よくなったとしてもうつ病患者というレッテルがはられてしまいます。しかし、ポジティヴヘルスでは、薬を服用していても、そこを乗り越えたら健康であると考えます。

【ポジティヴヘルス】
オランダのマフトルド・ヒューバー氏が提示した健康の「概念」。身体の状態、心の状態、いきがい、暮らしの質、社会とのつながり、日常の機能、の6次元により構成され、その適用力、能力を「スパイダーネット」(6角形のグラフ)で表記していくもので、オランダにおいてコミュニティづくりのステークホルダーの共通言語として進化を遂げている。

がんも現代ではかなり治療可能な状況になっていますが、がんと診断された際に、「周りのサポートも含めて、がんと向き合う力がある人が健康である」と考えます。「がんの治療が終わった人」が健康である、と定義するわけではありません。がん治療に前向きに取り組めている人は健康で、さまざまな困難を感じている人を健康でないからサポートしていこうということになります。がんが完治しても、精神的な負担を引きずってしまう患者もおり、別なサポートが必要になることもあります。この場合は、健康ではないと考えます。
そうした文脈でいうと、認知症についても、短期記憶の低下などがあっても、日常生活が保たれていれば健康と考えることができます。認知症は忘れることが問題ではなく、それにより生じる認知症周辺症状といわれる“軋轢”が問題なのです。2035年には軽度な認知症患者の人口が18歳以下の若年層を上回る、とも言われ、社会のマジョリティーになっていきますので、“病気”として捉えない社会を作っていく必要があると感じています。

-そうした時代に、すべての方々に治療行為を実施していけるか、というと難しい部分があるかもしれませんね。

占部 これは大井玄先生の沖縄の離島の調査ですが、同じ程度の認知症でも、認知症周辺症状の発現率が低いという結果が出ました。認知症状のある方が道に迷っていても、「ああ、何々さん、元気?今家に帰るので一緒に行こうか」などと知り合いから声をかけられれば、散歩であり“徘徊”にはなりません。年齢に応じた敬語が用いられ、年相応のリスペクトが示される、などということもあります。そうした行為があることで、問題にまで至らない環境が作られるのです。認知症の人は「すべてを忘れている」わけではなく、尊厳に関する意識は濃密に残っています。「忘れていることで周りに迷惑をかける」、「自分の行動がおかしいと思われている」というセンサーが無くなっているわけでもありません。そうしたセンサーが作動し、問題行動をもたらすことが多いのです。
尊厳を尊重するためには、例えば、習字の先生であった人には「習字」という動作記憶は残っていることが多いので、習字を教える場を提供することで、「自分はコミュニティにとって必要である」と感じられることが重要です。こういった地域としても多様性を許容する、といったあり方が当たり前であることは多くの人の“生きやすさ”にもつながります。今必要なことは、そのような形で心理的安全性が保たれている社会の構築であり、これが、今の時代にあった医療につながっていくこととなります。
医学的な治療にかたよらない方が、時により良い状況を生み出すこともあるといった視点が重要になってくると感じています。

2. 現実の制度とのリンク

-今の話は治療行為だけでなく、その前後の生活力を保つ仕組みとも捉えられますが、一方で、そうしたなかで医師や診療所、病院の役割についてはどのように考えますか。

占部 かかりつけ医の存在が非常に重要です。かかりつけ医が患者や地域に対して責任を持つということが、まさに信任を基盤とした社会的共通資本の概念と関連するところです。
新型コロナ対策でも「かかりつけの患者や地域への責任」を鮮明に自覚していた医療機関は初期から重要な役割を果たしていたと思います。そうした対応が、非常時に機能するためには、患者のみならず地域との関係性、信任関係も重要であることが改めて示されました。
日本では、主治医と患者の信頼関係はある程度出来ていると思いますが、「地域との関係」についてはまだ濃淡があります。例えば墨田区のように、日ごろから水害があった際にどう対応するかという話を自治体と医療関係者が密に話していたエリアでは、新型コロナ対応においてもスピード感のある対処が進んだと聞いています。そうした顔の見える関係構築は重要です。
ただし平時の医療機関運営でいえば、「病院には患者がいないと運営が成り立たない」のです。そのなかで、医療も介護もすべて「提供して、感謝される」仕組みが出来あがっています。サービスではないはずのものが、いつのまにかサービスになってしまったわけです。

-確かにそういう側面はあると思いますが、サービスとして付加価値を上げていくなかで、地域への責任を果たす、という流れにつながる可能性はあるかもしれないですね。

占部 そうですね。そのためには診療報酬を地域払いにする、地域で責任を持つチームを作り、そこに予算をつける、といったような制度設計が必要なのかもしれません。
ただし、その場合、地域の特性にあわせた形を考えていく必要があります。例えば、高齢者が多いエリアは足や歯の健康を中心とした体制を作るとか、都心部であればカウンセラーが多い方がいいとか、組み合わせの自由度を上げていくことが重要です。そのうえで、結果として地域が健康になればなるほど実入りもいい、という制度が出来れば望ましいと思います。

-自治体として、そうした複雑な作り付けに耐え得るでしょうか。

占部 その地域の特性を考え制度化することなので、自治体はむしろ得意かもしれません。始める自治体がまず成功し、追随するところが出てくる、という流れが必要でしょう。地域包括ケアという基盤のもとに、「湧いてくるもの」を機能させるために動いていくことが重要だと思います。またトライアンドエラーで修正していく体制が必要で、住民も体制をともに作っていくという当事者意識が重要で、行政がサービスとして提供しれくれるものだという意識から抜け出すことも必要です。

-その意味では、オランダのポジティヴヘルスはもちろん内発的な動きだとは思うのですが、同時に制度のなかで活用されたことで拡がった部分もありませんか。

占部 オランダではポジティヴヘルスの導入により、不必要な外来受診診察が減ったという調査結果もあります。これは健康を自分自身で管理していくという意識の定着を促しているからではないかと思っています。

3. アップデートをしていく

-ここまでの話は今の仕組み、例えば地域包括ケアなどは不整合な部分はありつつもある程度回っている、という前提になるのでしょうか。

占部 そう感じています。先程述べたような健康の概念や新たなパンデミックに対応していくためには、背景にある考え方を時代に即したものにアップデートしていくことが必要です。

-同時に医療者だけでなく、看護師、ヘルパーなど、職種を横にまたいだ形で考え方を共有していく必要もあるかと思いますが、その点はいかがでしょうか。

占部 私が働いているエリアは連携がかなりうまくいっていると思います。医師だけでなく、訪問看護師、ヘルパー、行政などの関係者が、地域への責任をもって真摯に対応を考えていると感じています。急性期病院、地域包括ケア病棟などの中間医療機関、施設を含めた専門職がそれぞれの役割に責任を持ち、うまく連携していることが、新型コロナ感染症の際の大きな混乱がなかったことにつながったと思います。

-少し話は飛びますが、アップデートという話と少し関連して、イギリスなどで実施されている「社会的処方」についてもご意見をお聞かせください。

占部 これもコミュニティにおいて重要なものです。医療を含むより大きなつながりの構築を目的としています。いわば、人とのつながりを“処方”するものです。

【社会的処方】
健康に影響を及ぼす社会的要因として「家族やコミュニティとほとんど接触がない社会的孤立」が知られているが、そうした状況に対して、医療機関が社会福祉専門職などと連携して、社会的処方(Social Prescribing)、すなわち地域でのボランティア活動や運動サークルの紹介などを行い、地域活動への参加を勧める動きで、イギリスで2000年代半ばから広がってきた取組み。

人とつながりを“処方”していくと、救急車の出動回数や1回にかかる費用が減ったという数字も出ています。イギリスでは、煩雑な保険制度の変更についていけない人々のサポートもしています。地域の人が緩やかにつながることで社会的資本が形成されているものと受け止めています。
一方、これが成立するために500人程度に区切られたコミュニティにどのような人が住んでいるという情報がしっかりと集められているとのことで、相当の信頼関係が求められます。日本でこうしたことを行うには地域関係の構築に相当、時間がかかるかもしれません。

-他にも注目すべき「アップデート」事例はあるでしょうか。

占部 地域での制度ということでは、広島県などでも取り入れられていますが、フィンランドで行われているネウボラという制度も注目しています。

【ネウボラ】
フィンランド語で「アドバイスの場所」を意味する制度であり、妊娠期から就学前まで、担当の保健師が切れ目のない支援を行う制度。1920年代から始まり、1944年に制度化。

できるだけ一人のネウボラ保健師さんが子どもの成長に継続的に関わるというもので、親以外の伴走者がいるというシステムです。保健師だけではなく、保育園や幼稚園、小児科医や産婦人科医などが連携しながら、子どもの成長に地域で責任を持つことの一つの事例として、挙げられるかと思います。

-医療や福祉が地域に責任を持つという意味ではさまざまな形がありますね。

占部 そうなんです。誰がこうした動きに関与をするか、ということがとても大切なのです。社会的共通資本は大事なものだから公的な管理が必要、と思われがちですが、実は私的所有が許容されることもあることが重要です。日本の医療機関の7割が私立です。もちろん公的な支援があります。国の政策といった公的な基盤のもとに、自分たちの地域での最善策を行えることは大事なことです。新型コロナ感染症対策においても、日本では「この地域の特性としてはこうしたほうがいい」という形で動ける自由度があったことは非常に重要なことです。

-ここまで「地域に責任をもつこと」を主題にお話いただきましたが、どのようなインセンティブがあれば、そうした動きになっていくか、意見をいただければと思います。

占部 簡単で有効なのは金銭的インセンティブではないでしょうか。それは診療報酬でどのように位置づけるか、ということにはなると思います。しかし、社会的処方についていえば、医療者でなくても対応できる部分がたくさんあり、診療報酬などとは切り離してコミュニティを強化する方向で対応をすることが広がりを生むのではないか、とも考えます。

4. 伝え方や働きかけ方について

-医療をどう提供するか、という話は、患者側、市民側は主体的に関わりにくい分野でもあり、自身に何かが起こった時に気づく、という傾向が強いものです。受け手側もコミットしていく必要はあるでしょうか。

占部 ポジティヴヘルスではスパイダーネットというものを利用して自分の状態を把握して、その変化を「見える化」します。自分自身を知ることが最初のステップです。全ての人が内発的にコミットすることは難しいとは思いますが、少しずつそうした形に社会構造が変化していくことも必要かとは思います。

-その必要性をどう伝えるか、というのも難しい話ですよね。

占部 病気であっても障害があっても楽しく暮らせることを伝えることは大事なのだと思います。
社会的共通資本は、資本主義で生まれる格差により犠牲になる「弱者に対する視点」が根底にあります。制度を構築しても、その制度を知らない人、そこから漏れる人、もしくは犠牲になる“弱者”が出てしまいます。資本主義的な文脈のなかでも彼らを守ることが、社会がよりゆたかになるということを示しています。
例えばシングルマザーを支える政策の場合、両親は揃っているが貧困層の人は支援対象から漏れる可能性があります。制度には必ず「枠の外側」ができてしまいます。社会的共通資本を守ることが、こうした「枠の外側」へのサポートになります。また社会的共通資本を国や地域でどのように守っていくことかを考えていくプロセスにも大きな価値があると思っています。

-宇沢氏の著書を読むと、その時代において、「国民皆保険を作ること」や「感染症対応」などへの評価はされている一方、収益重視主義など、さまざまな形での行き過ぎについては、強く注意喚起をなされている印象があります。しかし、今は、専門化が進み、医療業界の外からでは何が起こっているか見えにくい部分もあり、アップデートが必要だとしてもそのコンセンサスをとることが昔に比べて難しいのではないか、とも感じています。「ほころびに対するアクション」という点は社会的共通資本の概念には内包されているのでしょうか。

占部 父は、課題及びその解決について、「高い倫理観と専門知識をもって最善策を真摯に考えるべき」としています。ここで述べてきたような社会課題の解決は、一朝一夕ではいかないことが多いですし、時代が変わると対応も変わることを考えての表現だとは思います。

-今、占部さんが取り組まれている京都大学での研究部門はまさにそうしたプロセスにも注目するものでしょうか。

占部 その通りです。まさにその講座で目指しているのは、理論の深化と実装の両輪を回すことです。理想があるからこそ現実とのギャップが可視化されます。そのギャップをどのように埋めていくかを考え活動することにも大きな価値があると感じています。京都大学で社会的共通資本につながるレガシーを生み出すための場とはどのようなものか、考えながら活動しています。広井良典教授は、人口減少社会のデザインを中心に、内田由紀子教授は、ウェルビーイング研究から、社会的共通資本のあり方を考えてくださっています。また、ソニーコンピュタサイエンス研究所と兼任の舩橋真俊特定教授による、ローマクラブの報告書「成長の限界」の背景にある課題に対応した自然資本の拡張、その数値化などがその一例です。

【京都大学 人と社会の未来研究院「社会的共通資本と未来寄付研究部門」】
2022年7月に創設され、社会的共通資本の理念を現代社会の課題解決につなぎ、未来に向けた社会的インパクトの創出をミッションとする。研究成果を踏まえた具体的な社会実装への展開を目指す。

成長していく国々とともに国際フォーラムを行っていきたいと思っており、第1回目をジャカルタで開催しました。これから成長していく国のエネルギーを肌で感じるとともに、社会的共通資本という理論が国を超えて共感を得られることがわかり、これからの活動への活力となりました。

-多岐に及ぶ事例や取組みをお聞きするなかで、医師である占部さんだからこそ語れる「地域への責任」及びそのアップデートの必要性が、社会的共通資本の理念を引き継いでいくためにも不可欠なものであると感じました。本日は有難うございました。

著者プロフィール

〈話し手〉 占部 まり (うらべ まり)

医師/宇沢国際学館 代表取締役

シカゴにて宇沢弘文の長女として生まれる。東京慈恵会医科大学卒業。内科医。1992~94年メイヨークリニック-ポストドクトラルリサーチフェロー。地域医療に従事するかたわら宇沢弘文の理論をより多くの人に伝えたいと活動をしている。2015年3月には国連大学で国際追悼シンポジウム開催、2019年に日経SDGsフォーラム共催『社会的共通資本と森林』『社会的共通資本と医療』など。2022年5月に京都大学に創設された社会的共通資本と未来寄附研究部門の発起人でもあり、連携しながら活動を広げている。

〈聞き手〉 青山 竜文 (あおやま たつふみ)

株式会社日本政策投資銀行設備投資研究所 上席主任研究員

(株)日本政策投資銀行設備投資研究所 上席主任研究員
1996年日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)入行。2005年米国スタンフォード大学経営大学院留学(経営工学修士)を経て、2006年よりヘルスケア向けファイナンス業務立ち上げに参画し、以降同業務に従事してきた。2021年(一財)日本経済研究所常務理事を経て、2022年より現職。著書に『再投資可能な医療』『医療機関の経営力』(きんざい)。