World View〈ヨーロッパ発〉シリーズ「ヨーロッパの街角から」第42回

帰ってきたオオカミ ~野生動物との共存~

2024年2-3月号

松田 雅央 (まつだ まさひろ)

在独ジャーナリスト

狩猟と生息地の減少により、ドイツのオオカミは19世紀半ばに絶滅した。しかし今、東ヨーロッパに生息する個体がドイツへ渡り、再び生息地を広げている。野生動物の復活は自然環境の改善を意味し、ヨーロッパ諸国は1970年代から積極的にオオカミの保護に取り組んできた。
一方、オオカミが帰ってきた地域では、羊やヤギなど放牧の被害が急増している。昔に比べ、生息適地は減っており、人間社会との軋轢は避けられない。果たして、野生動物との共存は可能なのだろうか?
今回は、オオカミ、ヒグマ、オオヤマネコなどの保護に取り組むNPO、Alternative Wolf- and Bearparkが黒い森地方で運営する施設の取材をもとに、この問題を考えてみたい。

最後の逃避地

同施設は、10ヘクタールの敷地で、オオカミ1頭、ヒグマ9頭、オオヤマネコ2匹を保護している。飼育エリアは高さ2mの柵と電気柵で2重に囲まれ、見学者は通路を歩きながら動物を観察することができる。ここに棲む動物は人間を忌諱する習性を失っており、見学者や連れている犬が近くに来ても、特別な関心を示さないようにみえる。
ここにいる動物たちは、サーカスや動物園の劣悪な環境で飼育されていた個体や、住宅のゴミを漁るようになり捕獲された個体など、すべて訳ありだ。同NPOは「代わりになる住処を用意する」という意味で、団体名に代替(alternative)と冠している。
施設職員のライマンさんによれば、メスオオカミ“ガイア”(写真1)はリトアニアで保護されたそうだ。「元の飼い主は、森ではぐれた子オオカミを見つけたと言っていますが、本当のところは分かりません。なかには、趣味でオオカミと犬を交配させる人もいて、ガイアが純粋なオオカミかどうかさえ不明です」。趣味的な交配によりハイブリッドを生み出す行為は、生態系を著しく乱すため、倫理的に問題がある。
「家犬と一緒に育てられたのですが、成犬になると習性の違いから飼い主が扱いきれなくなりました。移された飼育施設は環境が劣悪で、最終的に我々が引き取りました。ガイアには野生で生きる知恵も経験もなく、もはや自然に帰る選択肢はありません」。他のオオカミとの接し方も知らず、おそらくこの施設で孤独のまま生涯を閉じることになる。

問題グマと問題人間

スロバキアで捕獲され、この施設に引き取られた母グマ“ユルカ”と息子の“ブルーノ”は、不用意な野生動物への接触がどのような結果をもたらすか、教訓を与えてくれる。
ライマンさん「この2頭は、現地で問題グマと呼ばれていました。野生に生きていた彼らに、人間が餌をやるようになり、人間を避ける性質を失ったのです。問題グマを生んだのは、実は「問題人間」なのです。
クマは知能が高く、人間の生活圏で餌が得られることを覚えると、子熊もそれを学びます。こうなってしまったクマの習性を矯正することは困難です」。殺処分を免れ、引き取り先が見つかったこの2頭は幸運だったが、自然に比べ、あまりにも狭いこの施設で残りの一生を過ごすことになる。
「重要なのは、野生動物に対する人間の態度です。ヒグマが多く生息する東欧では、クマがゴミを漁れない頑丈なゴミ箱を使用している地域もあります」。野生動物の生息区域と人間の生活空間を線引きすることはできないが、望まない接触は極力減らせるはずだ。
人間が学ぶべきことは多い。同NPOでは、自然散策中に野生動物と出会った際、どうするべきかを教えている。ここは、人間の啓蒙施設でもある。

深刻化する牧畜被害

差し迫った問題は、オオカミによる放牧被害の急増だ。ドイツ環境省が運営するオオカミの情報収集機関DBBWのデータによると、国内に生息するオオカミは2023年現在、1,500~2,700頭とされ、年20~30%の勢いで増えている。足跡、糞、死骸など、間接的なモニタリングが主なため、正確な数は分からない。
羊とヤギがけがをしたり殺されたりする被害は年4,300件(2022年)に上り、これも増加傾向にある。電気柵が有効とされ、牧羊犬もオオカミを遠ざけるのに効果的だ。しかしオオカミは知能が高く、すぐに防護の穴を突いてくる。被害をゼロにすることは、事実上不可能だ。
被害は国や州から補償され、電気柵の設置にも補助金が下りる。ただし、100%補償されるとは限らず、電気柵の保守管理に手間がかかるなど、放牧業者の負担が増えることはあっても減ることは無い。
放牧業者や研究者が参加するフォーラム“schaf-foren.org”は特に次の2点を提言している。ひとつは補償の拡充と手続きの簡素化。そしてもうひとつは、頭数を調節するための狩猟の許可だ。狩猟を認めている国はすでにあり、ドイツも近い将来そうならざるを得ないだろう。

自然の一部

赤ずきんの童話にもある通り、ヨーロッパでは長らく、オオカミは危険でずる賢いというイメージが強かった。歴史的にみて、人間を襲う可能性はある。
ライマンさん「(オオカミが帰ってきた)ここ20年、ドイツで人間が襲われた事例は確認されていません。オオカミの絶滅から百数十年経ち、どう対処すればよいか、人間も学び直さなければなりません。大切なのはオオカミにも生きる権利があるということです」。
オオカミとの共存には賛否両論あるが、彼らも自然の一部だという認識が大前提ではないだろうか。野生動物との共存には、相応の労力と費用がかかる。そしてなにより、人間側の覚悟が必要だ。
取材協力:Alternative Wolf- and Bearpark Black Forest

著者プロフィール

松田 雅央 (まつだ まさひろ)

在独ジャーナリスト

1966年生まれ、在独28年
1997年から2001年までカールスルーエ大学水化学科研究生。その後、ドイツを拠点にしてヨーロッパの環境、まちづくり、交通、エネルギー、社会問題などの情報を日本へ発信。
主な著書に『環境先進国ドイツの今 ~緑とトラムの街カールスルーエから~』(学芸出版社)、『ドイツ・人が主役のまちづくり ~ボランティア大国を支える市民活動~』(学芸出版社)など。2010年よりカールスルーエ市観光局の専門視察アドバイザーを務める。