明日を読む

日銀の意図的「出遅れ」戦略の行方

2024年4-5月号

早川 英男 (はやかわ ひでお)

東京財団政策研究所 主席研究員

金融市場には昨年12月か今年1月にもマイナス金利解除との見方があったが、結局、日銀は動かなかった。一方で、1月の「展望レポート」において2%物価が実現する確度は高まっている旨の記述を加えたこともあり、市場では今春4月にマイナス金利解除というのがメイン・シナリオになってきた。これは、従来からの筆者の見方と一致するものである。
日銀がこの春まで政策変更を待つのは、今春の賃上げの実現を確認したいからだろう。消費者物価だけなら20ヶ月あまり2%超が続いたが、安定的・持続的な物価上昇には昨年に続いて今年も高めの賃上げ実現が求められる。労働組合の要求や有力企業経営者の発言などを踏まえれば、今年の春闘賃上げ率は昨年実績(厚生労働省調べで3.60%)を上回るとの見方が増えているが、実際の数字で確認できるようになるのは3~4月だ。現在の日銀は意図的に出遅れ(ビハインド・ザ・カーブ)戦略を採っているとも言える。
しかし、この戦略は通常の金融政策の運営方式とは異なるものである。金融政策は財政政策などと比べ政策の実行から効果の発現までのタイム・ラグが長いため、通常は景気や物価の動きを先読みして(フォワード・ルッキングに)政策決定を行なうことが望ましいと考えられている。それでも敢えて日銀がビハインド・ザ・カーブ戦略を採っているのには、大きく2つの理由がある。
その第1は、過去四半世紀の間に試みられた金融引締め方向への政策変更、すなわち00年のゼロ金利解除、および06年の量的緩和解除(とそれに続く利上げ)がいずれも「失敗」と受け止められていることだ。その後の景気後退については、日本の小幅な金融政策の変更よりも、00年のITバブル崩壊、07年の住宅バブル崩壊と2度の米国バブル崩壊の影響の方が大きかったとみるのが常識だ。そうした「不運」があったとしても、この2度の失敗が景気後退やデフレの長期化、さらには黒田前総裁の下での大胆な金融緩和の実験などにつながって行ったことは否定できない。そう考えると、最初の失敗時に日銀審議委員でもあった植田総裁が「3度目の失敗は許されない」、「漸く巡ってきたデフレ脱却のチャンスを逃してはならない」と考えるのは十分に理解できよう。
第2の理由は、上記とも密接に関連するが、植田氏が総裁就任以前から「金融正常化が早過ぎるリスクの方が遅過ぎるリスクより大きい」と繰り返し述べてきたことだ。一昨年末から昨年初に消費者物価上昇率が一時4%台に達したのは、日銀の想定を上回っていた可能性がある(政府による電気・ガス料金への補助金支給がなければ4%台はもっと長続きしただろう)。結果として、実質賃金はまだ前年比マイナスが続いている。それでも一時2桁前後に達した欧米のインフレと比べれば随分控え目なものだったし、エネルギー価格の低下などもあって日本のインフレ率もピークアウトしつつある。さらに言えば、市場は長い時間を掛けて金融正常化を織り込んできたので、懸念されていた金融緩和の「出口」での混乱のリスクは低下している。
このように、日銀の意図的ビハインド・ザ・カーブ戦略は今のところうまく行っているように見えるが、難しいのはむしろマイナス金利解除後だ。市場はマイナス金利解除後も暫くゼロ金利に近い状態が続くとみており、ビハインド・ザ・カーブ戦略がこうした見方を強めてしまった可能性がある。しかし、マイナス金利の解除は2%インフレが安定的に続くと自信を持って判断した後だから、日本の自然利子率(景気に中立的な実質利子率)がいかに低いとしても、マイナス2%近い実質金利を続けることは想定し難い。当面は3ヶ月毎に0.25%程度の利上げを続けるのではないか。こうした予想の食い違いに伴う混乱を避けるため、前回の本欄でも述べたことだが、日銀には周到なコミュニケーション戦略が求められる。

著者プロフィール

早川 英男 (はやかわ ひでお)

東京財団政策研究所 主席研究員

1954年愛知県生まれ。東京大学経済学部卒業、プリンストン大学経済学大学院でM.A.取得。1977年日本銀行入行、その後、調査統計局経済調査課長、調査統計局長、名古屋支店長などを経て、2009年3月より2013年3月まで日本銀行理事。日本銀行在職中は、調査統計局長(2001年~2007年)を含め20年以上をリサーチ部門で過ごし、マクロ経済情勢の判断などに携わった。富士通総研経済研究所エグゼクティブフェローを経て、2020年5月より現職。著書には第57回エコノミスト賞を受賞した「金融政策の『誤解』」(2016年、慶應義塾大学出版会)などがある。