World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第104回

極寒の北京で

2024年6-7月号

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

2023年10-11月号でコロナ後の中国深圳に入国した旅を書いたが、今回は首都北京へ寄ってみた。昼間は30度を越えるタイのチェンマイから零下の北京へ。そして144時間ルールという未知の入国方法にトライしてみた。かつては住んでいた北京。こんなに緊張して入国したのは初めてだった。

北京に臨時入境

午前4時に北京空港に到着した。チェンマイの夜との気温差は約35度。空港内はしんと静まり返っていたが、寒さはあまり感じない(厚手のダウンジャケットの下に機能性防寒下着などを重ね着)。とにかくトランジット入国の許可をもらわなければならないが、場所が分からず、入国審査場まで行ってしまった。実はその前にちゃんとしたカウンターがあった。寝ぼけていて気が付かない。
カウンターにはヨーロッパ系の観光客が数人並んでいた。既にこの入国方法は144時間ルール(中国到着時に144時間以内に出発する第3国向けチケットを有し、決められた地域内に宿泊先を予約している者に認められる臨時入境制度)として、知られているようだ。日本人はコロナ以前、観光目的の場合、15日間ビザなし入境が認められていたが、コロナ後は現時点において、日中関係の現状もあってかビザ取得が義務付けられている。その抜け道としてこの144時間ルールを活用してみた。
一人ひとり意外と時間が掛かる。よく見ると私の前の日本人は、何と宿泊先を答えられずに、まごついている。20分ぐらいで私の番が来て、緊張が高まる。東京行きのチケットとパスポートを渡すと、「北京の滞在先は」と聞かれ、スマホアプリで予約した画面を提示したが、予約だけで支払いがまだだった。「なぜ支払わないのか」と聞かれたので喉元まで「入国できるか分からないから」と出かかったが飲み込む。即座にアプリでの支払いにトライしたが、なぜか出来ずに焦った。最終的に何とか無事に臨時入境証シールが貼られた。
入国審査はすぐにクリアして、午前6時前には無事北京の地を踏んだ。預け荷物を回収したが、完全に1つだけポツンと放置されていた。出口へ出たが、荷物も大きく、電車に乗る勇気もない。飲み物が欲しくて日系のコンビニを見つけて、清涼飲料水を買って飲んだら、ようやくホッとした。
周囲を見渡すと以前は沢山あった銀行の両替所が一つも見当たらない。インフォメーションで聞いてみると、何とこの入国フロアーには両替所は全くなく、1階上の出国フロアーに僅かにあるだけだという。これは中国国内では現金がほぼ使えない状態であり、中国人が海外へ行く場合の両替だけが必要だと暗に言われているようなものだった。

北京の街では

25年ほど前、住居と職場があった懐かしい亮馬橋付近を歩いてみた。北京という街は、勿論どんどん現代的なビルが立ち並んではいるのだが、その骨格があまり変わらないので、上海のように街自体が一変してしまうことはない。それでも以前は日本人が多く暮らしていたこの一帯も、今や中国人のお金持ちが静かに暮らしているという。

北京オリンピックの頃から北京の交通網、とりわけ地下鉄網はどれほど発展し、街がどれほど広がったのだろうか。縦横を走る路線に環状線が絡み合い、郊外向けの路線が四方に伸びていくと、もうどれに乗ったらどこへ行けるか全く分からない。また駅の自販機で切符を買おうとしたが、何と身分証(パスポートは不可)をかざさないと買うことが出来ず、仕方なく窓口を探す羽目になり、とても面倒だ。北京市民はQRコードで楽に乗車している。
少なくとも現在の中国は外国人観光客を歓迎しているとはとても思えない。というよりむしろ、外国人の存在を忘れて政策が動いているようにみえる。コロナ明けと景気後退という現状を考えれば、もう少し外国人を呼び込むように優しく対応してくれることを期待したい。
街の中心部を歩いていると、昔あった胡同と呼ばれる横丁はかなりが失われ、またはきれいに改装されている。いい湯気を出していた小さな食堂の多くはチェーン店の店舗に変わり、残念ながら皆同じように見え、懐かしい味にはもう出会えない。物価はコロナ前と比べて上がり、円安を加えると、かなりの上昇感がある。冬だったせいか、活気は感じられないが、新築のマンション建設は続いており、不動産不況といわれる昨今、果たしてきちんと販売できるのかと勝手に心配になってしまう。

馴染みのお茶屋さんに顔を出したが、多くの茶荘が集まる茶城に異変が起こっていた。半数以上の店が閉まっているか、既に廃業していた。「コロナ禍は意外とお茶が売れていたので、コロナ明けに大いに期待していたが、全く売れなくて困っている」との話しを聞いた。コロナ禍は在宅時間が多く、お茶を飲んだり、友人とお茶を送りあったりしていた人々も、コロナが明けて家に在庫が積まれ、景気後退のムードもあって、茶の購入には向かっていかない、といった図式が考えられるが、これもまたいつまで続くのだろうか。
高速鉄道に乗って40分、天津市まで足を延ばした。こちらも地下鉄路線などは伸びていたが、街を歩く人は少なく、かなり静かに感じられた。これは決して冬のせいばかりではなく、日本でも報道されているように、中国国内の主要都市の中でも、天津は景気の落ち込みがかなり激しいと感じさせるに十分だった。
中国は広く、今回はほんの一部を見たに過ぎないが、それでも発展を続けてきた街に変化の兆しが見られ、何よりも人々の静けさが気になった。ある中国人は「コロナで中国人の心は折れたんです」と語っており、やはり外からは分からない数々の衝撃があったと想像される。今後の展開が気になるところだ。

著者プロフィール

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

東京外語大中国語科卒。
金融機関で上海留学、台湾2年、香港通算9年、北京同5年の駐在を経験。
現在は中国を中心に東南アジアを広くカバーし、コラムの執筆活動に取り組む。