宇沢弘文没後10年記念シンポジウム
2024年10-11月号
1. はじめに
2024年8月24日、「宇沢弘文没後10年記念シンポジウム」が学習院大学にて開催されました。故宇沢弘文先生は、50年近くにわたり日本政策投資銀行設備投資研究所の顧問を務められた日本を代表する世界的経済学者です。一般均衡論、均衡の安定性、二部門成長モデル、最適成長理論、消費・投資関数など理論経済学の分野で先導的な研究者として卓越した業績を残された他、公害・地球温暖化問題と真摯に向き合い、自然環境、インフラストラクチャー、金融・医療・教育などの制度資本からなる「社会的共通資本」の理論的研究にも精力的に取り組まれ、その成果は今なお、世界の経済学界に多大な影響を与えています。
本シンポジウムは、宇沢先生が2014年9月18日に亡くなられて10年となる節目に、懇意であったジャーナリストの佐々木実氏の協力のもと宇沢国際学館が主催したものです。宇沢先生と親交が深く、社会的共通資本の理念を引き継ぐ先生方が、宇沢先生の功績に触れながら持論を展開しました。参加者は会場とオンラインをあわせて300名弱にのぼりました。本稿ではその概要を報告します。
2. シンポジウム概要
冒頭、宇沢国際学館代表で宇沢先生ご息女の占部まり氏が挨拶し、父親の功績を広める活動を今後も続けていきたいと話しました。
講演の最初に登壇したのは、宇沢ゼミ出身の浅子和美氏と宮川努氏です。「社会的共通資本理論の再検討」をテーマに講演しました。浅子氏は、学生が6人と少数精鋭であったゼミの思い出に加え、社会的共通資本の混雑現象をモデル化した宇沢モデルを2部門経済に拡張し、環境問題をひき起こすような財の輸出が自由貿易による厚生効果を上回るマイナス効果を及ぼしうることを提示し、閉鎖経済から開放経済へ移行する際の最適な環境税に関して考察したことを説明しました。宮川氏は、社会的共通資本を拡張・展開すべく、本年度後期から学部生向けに開設予定の特殊講義「社会的共通資本の経済学」の骨子について紹介しました。本講義を通じて、宇沢先生が信奉したかつての制度学派にならって、社会的共通資本の貢献を実証的に検証していくとのことです。
続いての講演テーマは、安田洋祐氏と小島寛之氏による「宇沢弘文の数学」でした。宇沢先生から代理での登壇を依頼され、世田谷市民大学で講演した経験を有する小島氏は、資本主義の本源的な不安定性を認識しつつ、自身が構想しているアプローチとして、社会的共通資本である医療保険制度が皆保険であることの最適性の論証や、装置の理論であるヴェブレン経済学を意識しニュートン力学から熱力学的知見に立った経済学への転換を訴えました。
宇沢ゼミ出身の吉川洋ゼミ門下生で、宇沢先生の孫弟子にあたる安田氏は、宇沢先生がゲーム理論やそれに関連するトピックを多く扱っていることに着目、同じ数学出身者であるロバート・オーマン教授との類似点に触れるとともに、社会的共通資本は公共財やコモンズとは異なり、部分的に排除可能で完全には競合しない特徴をもつ点を指摘し、繰り返しゲームの理論やマーケットデザインからの貢献が期待できるとしたうえで、その適切な管理者を巡る議論を紹介しました。
午後は、まず広井良典氏、諸富徹氏、松下和夫氏が佐々木氏のコーディネートのもと、『「定常型社会」と「資本主義の新しい形」』をテーマに講演しました。広井氏は、京都大学で2022年に創設された「社会的共通資本と未来寄附研究部門」の紹介に始まり、現代は人類史における拡大成長サイクルの第3期にあり、宇沢先生は定常経済への移行を含めた成長論を考えていたのではないか、社会的セーフティネットの考え方が事後的分配から事前的対応へ変化するなかでの究極的な段階が社会的共通資本にあたるのではないかと説明しました。続いて松下氏は『自動車の社会的費用』の意味するところや、かつて勤務した現環境省の審議会等で提言された比例的炭素税と大気安定化国際基金構想の現代的意義について説くとともに、自然が失われ気候変動危機が顕在化している現在において、『経済学と人間の心』に宇沢先生の求めた世界があると指摘しました。諸富氏は、カーボンニュートラルの促進が経済成長に繋がるというモデルが近年みられるようになったことに触れ、自然資本ストックの維持が持続的成長に必要であると論じました。
次に、三俣学氏、茂木愛一郎氏が「21世紀のコモンズ論」をテーマに講演しました。茂木氏は、日本政策投資銀行設備投資研究所での宇沢先生との共同研究に関する思い出を語った後、コモンズ論の系譜を踏まえ、北富士の入会の事例が世界へ紹介されたことも、オストロムが提唱した、コモンズの悲劇の解決に重要な8つの設計原理に影響を与えていると説明しました。
三俣氏は、宇沢先生が3時間弱にわたって入会管理の仕組みを中心に熱心に聞いていただいた自身の講演内容をもとに、学校林や共有林の事例を取りあげ、地域の等身大としての社会的共通資本の重要性と、今後は都市としてのコモンズを考えていく必要性を指摘しました。
続いて、ケネス・アロー氏、ロバート・ソロー氏、ジョセフ・スティグリッツ氏、ジョージ・アカロフ氏から、宇沢先生とのエピソードや宇沢先生の功績に関する追悼メッセージがビデオ上映されました。
最後に、清滝信宏氏が「宇沢弘文とマクロ経済学」をテーマに講演しました。清滝氏は、金融システムが不調を来たすと従来の景気循環よりも振幅が大きくなることを証明した清滝=ムーアモデルの発展形について説明し、金融危機の際には、中央銀行が流動性の異なる金融資産を売買する非伝統的金融政策を行うことの有効性を提起しました。
締めの共催者挨拶として、学習院大学経済学部長 神戸氏が登壇し、学習院の初代院長が宇沢先生の一高時代に師事した先生であったこと等、同大学と宇沢先生との深い関わりを紹介した後、宇沢先生に対する最大の恩返しは宇沢先生の業績を乗り越えることだと総括しました。
3. おわりに
宇沢先生が提唱された社会的共通資本の考え方に共鳴し、その理論を発展させようとしている先生方の熱意に触れることで、社会的共通資本の重要性は今日注目が集まるサステナビリティの先駆的な概念として、ますます高まっていると感じました。弊財団では、本誌での特集企画(『日経研月報2022年11月号 進化するコモンズ特集』(注1))に続いて、本シンポジウムの参加報告を契機に、社会的共通資本に関する啓蒙活動に引き続き取り組んでまいります。
(注1)https://www.jeri.or.jp/publication/11%e6%9c%88%e5%8f%b7/