World View〈ヨーロッパ発〉シリーズ「ヨーロッパの街角から」第50回

水素で空を飛ぶ ~持続可能な航空モビリティ~

2025年6-7月号

松田 雅央 (まつだ まさひろ)

在独ジャーナリスト

将来、航空機が水素で飛ぶ時代がやって来そうだ。水素燃料電池(以下、H2-FC)を動力源とすれば、飛行の際に排出されるのは水だけ。これにグリーン水素の供給を組み合わせれば、燃料の生産から飛行まで高度なネット・ゼロ(Net Zero。温室効果ガスが排出される量と吸収・固定される量の差し引きがゼロになること)を実現できる。小型ではあるが、すでに実証機が飛行実績を重ねている。
本稿では、H2-FC航空機の開発で世界のトップを走るH2FLY社(ドイツ・シュトゥットガルト)への取材を基に、持続可能な航空モビリティの現状と課題を探ってみたい。

ハードルが高い航空機

陸上、海上、航空における運輸は、依然として化石燃料を使用する内燃機関に依存し、CO2排出量の3分の1以上を占めている。IEA(国際エネルギー機関)の資料によると、割合が圧倒的に大きいのは陸上73%、ついで海上11%、そして航空10%の順になる(2022年)。
この30年以上、運輸セクターのCO2排出量は増え続けてきた。時代と共に環境技術は向上し規制が厳しくなっているにも関わらず、需要の伸びがその効果を打ち消している。率直なところ、運輸セクターのCO2排出削減の歩みは遅い。
かなり楽観的な見通しではあるが、IEAの描くネット・ゼロのシナリオによれば、運輸セクターは2030年までに2022年比で25%のCO2排出削減が見込まれる。
しかし航空だけはその傾向に反し、需要の伸びから22%の増加が予想される。既存の航空技術は成熟しており、これまでの延長で思考する限り抜本的な排出削減は望めない。持続可能な航空機の開発にはブレークスルーが必要だ。

実用化目前のバッテリー方式

カーボンニュートラルに寄与する燃料・駆動様式は幾通りか考えられる。H2-FC以外に、バッテリー方式、SAF(持続可能な航空燃料)の利用、水素燃焼方式などあるが、いずれも課題を抱えている。
バッテリー電動航空機はeVTOL(電動垂直離着陸機)が代表例だ(『日経研月報2021年7月号』掲載「エア・タクシー ~次世代交通のポテンシャル~」参照)。技術の成熟、安全性の確立、法整備など課題は少なくないものの、主な用途であるエア・タクシーの商業化は秒読み段階に入っている。
整備が比較的簡単で、航空排出ガスを生まず、同クラスの飛行機やヘリコプターと比べれば、騒音は極めて小さい。eVTOLなら建物の屋上や広場から離着陸できるため、地域を選ばない手軽な利用が期待される。ただ長距離・長時間の飛行に制限があるため運用方法が限られ、機体の大型化も難しい。

水素は次々世代の本命

バイオ航空燃料に代表されるSAFはどうだろう。バイオ航空燃料は廃食油、微生物、木材、サトウキビなどから製造される。また、CO2と水素を原料とし、再生可能エネルギー由来のエコ電力を使って製造される「グリーン合成燃料」もSAFに含まれる。
SAFはCO2削減効果に優れ、既存の航空技術とインフラを利用できる点が強みだ。2022年の世界のSAF供給量は約30万キロリットルで、これは航空機燃料供給量の約0.1%に相当する。利用が軌道に乗るのはまだ先だが、基礎技術が確立されているので計画を立てやすい。航空業界の国際機関であるICAO(国際民間航空機関)は、SAFを次世代燃料と位置づけ、置き換えを積極的に進める方針だ。
問題は、原料供給の制約と高い製造コストのため高額になること(従来燃料の2~3倍)。また、燃料を燃焼させる仕組みは従来の航空エンジンと変わらないので、窒素酸化物を排出し、騒音の問題も残されたままだ。
ICAOによれば、水素はSAFに続く次々世代の燃料であり、使用が本格化するのは2050年以降になりそうだ。さらにその先の長期シナリオを概観すると、バッテリー方式、SAF、水素を3本柱とし、残りを化石燃料が補う形になる。

H2-FCの利点

本稿の主なテーマである水素の利用方法には、燃焼方式とH2-FC方式の2種類ある。H2FLY社はH2-FC方式を採用しているが、その理由は何だろう? 同社CTOカロ氏(Josef Kallo、写真1)にまずこの点を伺った。

カロ氏:「(H2-FCの)電動モーターは燃焼エンジンに比べて回転数が低く、とても静かです。また水素であっても燃焼させれば窒素酸化物や粒子状物質を排出しますから、我々はよりクリーンなH2-FCに焦点を当てています。」
周辺の騒音被害を防ぐのはもちろん、客室環境にとっても静穏性は重要なポイントだ。ICAOも騒音値のレベルと不揮発性粒子状物質の排出基準の厳格化を決めているが、H2-FCはその基準を遥かに超えた環境性能を持っている。
環境性能と経済性を含めた諸条件を考慮すると、200㎞以下の近距離ならバッテリー電動航空機が最も優れている。それを超える長距離なら、エネルギー密度(重量、あるいは体積当たりのエネルギー量)の大きい液体水素を用いたH2-FCが最良の選択肢というのがカロ氏の見解だ。

レギュレーション

カロ氏:「水素を自動車などの動力に使い始めたのはそれほど昔ではありませんが、すでに国際的なレギュレーションが整備されています。それに対し、航空機は未整備で、世界中の専門家が協力し、飛行時はもちろん、貯蔵や充填作業を含めた検討を進めている段階です。」
先行するH2-FC自動車の技術は、航空機にも使えるのだろうか?
カロ氏:「技術は1:1です(そのまま使えるの意)。違いは、すべてに高度な安全性・信頼性・冗長性が求められることです。それに加え、自動車産業のような市場規模はありませんから、さらに割高となります。燃料電池・モーター・各コンポーネント・コントロールシステムをより深く統合している点が、当社の強みです。」

スケールアップ

H2FLY社は2012年にH2-FCの実験機、2015年には2人乗りの実証機HY4(写真1、2)を開発し、テストを繰り返してきた。2022年には高度7,000フィート(約2,100メートル)の飛行記録を樹立し、水素と燃料電池の可能性を実証している。また、eVTOLの世界大手Joby Aviation(本社アメリカ)とH2-FC-eVTOLを共同開発し、2024年に約850㎞の飛行に成功している。


カロ氏:「2029年までに5~7席クラスの実証機を開発し、必要な機能と能力を証明します。これは実験プラットフォーム機であり、型式証明の取得はその先です。それに続き、40席クラスのリージョナル機(写真3)の開発を本格化させます。」

スケールアップする際の課題は?

カロ氏:「機能面は問題ありませんが、資金調達は別の話です。5~7席クラスに求められるH2-FCの出力は200~400キロワット。一方、40席クラスに求められるのは1.4メガワットで、開発規模が異なり、当然、投資レベルが別です。」

グリーン水素の供給とインフラ整備

H2-FC航空機の開発と普及には、技術、レギュレーション、投資といった要素に加え、水素インフラ整備が関わってくる。実はこれが最大の課題、あるいは不確定要素と言っても過言ではない。
カロ氏:「再エネの利用を前提としたグリーン水素の製造(『日経研月報2022年9月号』掲載「Power-to-Gas ~ガス供給の未来を拓く~」参照)、貯蔵、輸送、飛行場の整備など、一歩一歩進める必要があります。水素の生産規模はまだ小さく、インフラ整備と投資にリスクがあるのは事実です。
今のところ、グリーン水素は化石燃料より割高です。しかしネバダや中東では、生産コストの大幅ダウンが予想され、近い将来、充分な価格競争力を持つようになるでしょう。」
H2-FC航空機の技術は整いつつある。あとは経済と環境のバランスを取りながら、水素社会の実現にどこまで踏み込めるか、社会全体の選択にかかっている。

著者プロフィール

松田 雅央 (まつだ まさひろ)

在独ジャーナリスト

1966年生まれ、在独29年
1997年から2001年までカールスルーエ大学水化学科研究生。その後、ドイツを拠点にしてヨーロッパの環境、まちづくり、交通、エネルギー、社会問題などの情報を日本へ発信。
主な著書に『環境先進国ドイツの今 ~緑とトラムの街カールスルーエから~』(学芸出版社)、『ドイツ・人が主役のまちづくり ~ボランティア大国を支える市民活動~』(学芸出版社)など。2010年よりカールスルーエ市観光局の専門視察アドバイザーを務める。