『日経研月報』特集より

アジャイル・ダイナミック社会 ~産官学が共に挑む未来創造~

2025年6-7月号

益 一哉 (ます かずや)

国立研究開発法人産業技術総合研究所量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター センター長

現在、私は産業技術総合研究所に設置されたG-QuAT(量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター)において、量子コンピュータを中心とした量子技術の研究開発と産業創出に携わっています。量子技術は、量子力学という基礎科学を出発点に、基礎研究、応用研究、実証ハードウェア、応用サービス、そしてビジネス展開へと一気に進みつつある分野です。このように、基礎から社会実装までが同時進行している状況を日々肌で感じる中で、「この時代の特徴をどう表現すればよいのか」と考え、Open AIに問いかけたところ、「アジャイル・ダイナミック社会(Agile Dynamic Society)」という言葉を得ました。まさにこの言葉が、自分の実感にぴたりと重なり、以来この概念を共有し、積極的に使うようになりました。
私は2018年から6年半、東京工業大学の学長を務めました。その間、東京医科歯科大学との大学統合を提案し、現在の東京科学大学(Science Tokyo)設立につなげました。この実現は、今の閉塞感を脱却しようという志を共有する多くの仲間の存在があったからこそ可能でした。無理に思えることでも、まず一歩踏み出すことで共感が生まれ、実現への道が拓けていく。これは私自身が体験を通じて得た大きな教訓です。過去の延長線上にはない未来を描くには、最初の一歩に勇気が要りますが、思い切って「やってみる」ことが、変革の原動力になるのです。
いま、政府は量子、AI、半導体といった分野に対し、かつてない規模の投資を決断しました。これは日本の科学技術と産業を再起動させるための、明確な意思表示です。この動きに対して、産・官・学のすべての主体が、それぞれの立場で役割を再認識し、責任を果たすことが求められています。そして、この投資を「成功」に導く強い覚悟が必要です。産業界は果敢なリスクテイクに挑み、大学・研究機関も社会との連携を前提にした研究開発へと踏み出さねばなりません。私たち一人ひとりの意識の転換と行動が問われています。
「すべての階層・分野・セクター」とは、企業(産業界)、行政機関(官)、そして大学(アカデミア)のすべてです。そして「研究開発」という営みも、単に基礎と応用、理論と実験といった伝統的な分類で完結する時代ではありません。いま必要なのは、社会実装やビジネス展開といった異なる次元の視点まで視野を広げて取り組むことです。それぞれが自分の専門領域の殻に閉じこもることなく、互いの領域とつながりながら、越境的に発想し、動く。そうした姿勢こそが、この変革期を乗り越えるために不可欠だと感じています。
量子コンピュータの世界では、基礎研究と実用化が併走し、次々と新たな技術課題が立ち上がっています。個々の技術開発はもちろん重要ですが、それだけでは社会にインパクトをもたらすことはできません。今、世界では、要素技術の開発とグローバルな連携によるサプライチェーン構築、ビジネス戦略の同時展開といった、いわば“総力戦”のような研究開発が進んでいます。G-QuATもこうした時代にふさわしいセンターとして、国内外の大学、企業、政府機関と協働し、量子技術を使った社会課題の解決と経済価値の創出に挑んでいます。
私は、大学の未来においても「挑戦」と「変革」が欠かせないと考えています。日本は少子高齢化という構造的な課題に直面しています。2024年の出生数は70万人を下回り、今後18歳人口の減少は避けられません。これは大学の存続のみならず、我が国の研究開発力全体の基盤に関わる問題です。今こそ、国立大学では、学部課程においても外国人留学生の受け入れを本格的に進め、たとえば3割を目指すような思い切った戦略が必要ではないでしょうか。これは単なる国際化ではなく、持続可能な研究・教育基盤の再構築であり、日本という国が国際社会の中で存在感を維持するための戦略的投資だと捉えるべきです。
研究も教育も、そして社会全体も、アジャイルでダイナミックに動くべき時代が来ています。一見無関係に見える技術開発と人口構造の変化ですが、いずれも同じ社会的構造変革の一部であり、共通するのは「しなやかに、かつ果敢に挑戦する」姿勢です。私たち一人ひとりが、自らの立ち位置で変化を受け入れ、行動を起こすこと。それが、これからの日本に必要な力ではないかと強く感じています。

著者プロフィール

益 一哉 (ます かずや)

国立研究開発法人産業技術総合研究所量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター センター長

1975年神戸市立工業高等専門学校卒。1977年東京工業大学工学部卒。1982年同大学院博士課程修了(工学博士)。1982年東北大学電気通信研究所助手、助教授を経て、2000年6月東京工業大学精密工学研究所教授。2016年同大学科学技術創成研究院 研究院長。2018年4月から2024年9月まで同学長。東京工業大学と東京医科歯科大学が統合して設立された東京科学大学名誉教授。2024年10月より現職。
専門は集積回路工学。