思索の窓

本屋探訪 ~偶然の出会いを求めて~

2025年8-9月号

横井 拓 (よこい たく)

株式会社日本政策投資銀行法務・コンプライアンス部 次長

先日、ある本屋を訪れたとき、奇妙な小説のフェアに遭遇した。本の表紙が全てカバーでラッピングされ、作者もタイトルもあらすじも全て不明。ヒントは「栄養成分表示」と「レーダーチャート」のみ。例えば栄養成分表示はユーモア、不安、出会いなど、レーダーチャートの方は謎解き、意外性、読後感などの五つの項目で構成されている。その成分表示の項目すら本ごとに異なっており、作家名やタイトルの類推は極めて困難であった。その中から本を選ぶのはミステリーツアーのようである。その仕掛けに心を動かされ、ヒントを最大限吟味してこれはという2冊を選んだ。帰宅してカバーを開けるときは答え合わせをするようで、久しぶりに本との出会いに高揚感を覚えた。
結果は、一冊が普段も読む作家の小説(こちらを「小説A」)、もう一冊が読んだことのない作家の小説(「小説B」)であった。小説Aは案の定面白かったが、小説Bも良い意味で期待を裏切る面白さであった。自分の直観力に妙に納得するとともに、新たな作品・作家との出会いに感謝した。
読みたい本を探すとき、最近はさまざまな書籍販売サイトを活用するのだが、自分の趣味に合わせた推薦(レコメンド)機能が非常に発達し、あまりに自分の興味関心に即した本をお勧めされることが多く感心する一方で、似たような本ばかりが増えてしまい(もちろん、特定の傾向の作家を深掘りするのも良いが)、少し幅を広げたいと思っていた矢先に、興味深い仕掛けに遭遇できた。
本屋であれば、自分の関心の対象外の本が圧倒的に多い反面、自分では気づかない潜在的な興味にアクセスできる可能性がある。レコメンドや口コミも貴重な情報源で利用するが、本を探すときの思考回路が似通うため、行きつく先も似たような内容になりがちだ。強制的に違う作家、違うジャンルに出会う機会を作ることも重要ではないか。
思えば、私がよく訪れる本屋の小説コーナーも偶然との出会いの仕掛けばかりである。同じ「あ」行の作家も一人ずれるだけで作風もジャンルも何もかも全く異なる本が並んでいる。レコメンドや口コミで推してくるのは「あ」行の次は「さ」行の作家かもしれず、その間の作家に触れる機会は自分で探すしかない。
仕事に没頭し、読む本も業務に関連する本ばかり読んでいると息が詰まってくる。思いっきり別の方向に志向を振ってしまうことで、思考の幅を広げるだけでなく、頭をリフレッシュさせる必要性もあるのではないか。色々なリフレッシュな方法があろうが、私にはこのような形で偶然を半ば強制する方法が性に合っているのかもしれない。そう思って自分の関心が乏しい芸術や料理のコーナーでも、ひょっとしたら少しでも引っかかるのではないか(私は歴史好きなので、例えばあるジャンルの歴史に関する本であれば、少しは関心が高まるかもしれない)、と思い眺めてみる。しかしながらすでに数十年の人生で興味関心が凝り固まっているので、なかなか引っかかる本が出てこない。趣味の世界に強制を適用することも矛盾している気がするので、この方法が良いのかも分からない。
最後に冒頭の話の続きをする。小説AとBを読んだ後、別の機会に本屋でそれぞれの作家の別の作品を比較した。結果、購入したのは小説Aの作家、つまりいつも読んでいる作家の方であった。これは、選んだ本の表紙が感性に合ったのか、その日の気分がA寄りだったのか、はたまた前回は本屋の仕掛けに上手く乗せられたから今度はそうはさせまいというという意地(?)であったのか。自分の深層心理はまったく不明だが、それもまた一興ということで、偶然の出会いを探し求めて本屋を訪れる日々である。

著者プロフィール

横井 拓 (よこい たく)

株式会社日本政策投資銀行法務・コンプライアンス部 次長