トランプ2.0と国際政治の行方
2025年10-11月号
(本稿は、2025年7月16日に開催された講演会の要旨を事務局にて取りまとめたものです。)
1. はじめに
2. トランプ政権の全般的性格
3. ピースメーカーとしてのトランプ?
4. 米中対立はどうなるのか
5. アジア情勢への影響と同盟国の役割
6. まとめ
1. はじめに
第2次トランプ政権(以下、トランプ2.0)の登場により、世界は大きな転換点を迎えています。これまでアメリカが国際社会に対して担ってきた過剰な負担を見直す動きは当然とも言えますが、その余波は大きく、その結果、戦後や冷戦後の国際秩序が急速に崩れ、予測不能な時代に突入しました。グローバル化を前提としたこれまでの40年を見直し、安全保障を重視する新しい世界の動きが始まっています。
2. トランプ政権の全般的性格
トランプ政権は、「アメリカ第一(Make America Great Again:MAGA(以下、MAGA)」運動を背景に、内向き志向が強いとされてきました。自国の安全と利益を最優先し、世界情勢への関心は薄いといえます。トランプ政権の本質はトランプ2.0以降も変わらず、アメリカ中心の視点に固執しています。
トランプ大統領は、直感的、場当たり的な政策判断を行い、従来の政治を否定する姿勢を鮮明にしています。また、政治が腐敗し、富裕層がどんどん潤う一方で地方が衰退する現状を批判し、自らを「ワシントンのアウトサイダー」と位置付けて支持を集めました。9.11以降のテロとの戦いやアフガン撤退に象徴される長期的な戦争疲れ、さらに中間層の衰退と富裕層の台頭という社会の中で、トランプ大統領の主張は時宜に適った主張だったのです。
トランプ政権は、即効性のある利益を最優先する徹底したハイパーリアリズム(現実主義)を掲げています。さらに、強いナショナリズム、特にキリスト教的価値観に基づくナショナリズムを特徴とし、昔のアメリカ社会の理想像を追求しています。しかし、トランプ1.0(2017~2021年1月)は、準備不足から政権運営がうまくいきませんでした。4年間の浪人期間を経て、復讐心と野心を抱えて誕生したトランプ2.0は、その中核に、具体的な政策リストである「プロジェクト2025」があります。今回は人材育成が進み、政策課題に対する明確なビジョンと、それを迅速に実行するスピード感を持ち合わせています。副首席補佐官のスティーブン・ミラーが「洪水のように政策を打ち出す」と語るように、司法への介入も辞さない姿勢が特徴です。スタッフも、トランプファミリーの顧問弁護士軍団を中心に固められ、より強固な体制が整っています。
また、トランプ大統領は、直感的な交渉を重視し、軍人のアドバイスにも耳を傾けてしまうようになったのも新たな特徴です。そして、MAGAイデオロギーに反する人を排除すべきだとする運動家たちを多く控えています。これまでの政治に関わった人たちを敵視し、忠誠心を重視する姿勢が一層鮮明な政権となっています。
この態度は、経済にも影響を及ぼしており、経済政策においては、二律背反的な衝動を抱えています。低所得者層や衰退した中間層に雇用を生み出し、産業政策、現代資本主義を変えるという「経済ポピュリズム」を掲げる一方で、政府の役割を最小化し、減税や規制緩和を推進する「リバタニアリズム(自由放任主義)」も取り入れています。この二重性は、「大きくて美しい」予算法にも反映されています。特に、テック・オルガルヒ(シリコンバレーの大企業)が政権に影響を与え、技術最先端のリバタリアン思想が色濃く反映されています。1月の就任式には、ビックテックの資本家たちが多く並びました。
また、関税政策は、単なる交渉手段にとどまらず、アメリカ産業の復活や財源確保、さらにはグローバル経済の形を変える手段として3つの目標を持ち、活用されています。これらの目標全てが重要なので、関税がなくなることは、まずあり得ません。中国やブラジルとの交渉においても、関税は政治的な武器として過度に用いられる傾向があります。トランプ大統領にとって、関税はロックオンされた唯一最大の武器のように位置付けられていることは、押さえておくべきでしょう。
3. ピースメーカーとしてのトランプ?
重要なのは、こうした背景の中での外交展開です。トランプ政権は、MAGAとピースメーカーとしての役割は矛盾しないと考えています。当初、交渉好きのトランプが強引な取引を進めるのではないかと懸念されていました。しかし実際にはそうした動きは見られず、むしろ交渉相手への苛立ちから強硬手段に出る場面が目立ちます。たとえば、ウクライナ問題では、プーチンが折れない場合にウクライナに武器を供与し、イスラエルのイラン核施設攻撃も黙認するなど、平和構築には至っていません。ただ、MAGA支持層は、ヨーロッパが費用を負担し、それがアメリカの利益につながるとの観点で一定の理解を示しています。
価値観の転換も顕著で、無登録移民の強制送還、DE&I(多様性、公平性、包括性)の廃止、大学や科学界への疑念、対外援助削減など、従来のアメリカの価値観を覆す政策が進められています。「力による平和」というスローガンのもと、国際協調よりもアメリカの利益を優先する姿勢が鮮明です。
また、アメリカは世界最強の軍隊を持ち、大統領には多くの軍事オプションが提案されますが、トランプはその魅力にとらわれ、力による平和外交を展開しているとも捉えることができます。
トランプ政権の外交は、完全な孤立主義ではなく、トランプ自身の名誉や利益に繋がる形で展開されています。トランプ政権はMAGAによってつくられた政権ですが、MAGA運動が掲げる「海外関与の否定」より柔軟な姿勢を見せつつも、トランプ個人への支持が政権を支えている状況です。
4. 米中対立はどうなるのか
1970年代からアメリカが支えてきた中国の近代化構造を見直したのが、トランプ1.0の時期です。これにより米中対立が顕在化し、輸出管理や投資規制、留学生への技術管理などが導入されました。バイデン政権は、対立と対話を両立する態度を取りましたが、トランプ2.0ではその遠慮の姿勢とは異なり、強硬姿勢と交渉姿勢が混在しています。
交渉は当面続くでしょう。今回、中国はEVバッテリーの技術規制をカードとして提示し、アメリカはエヌビディアの半導体H20の中国輸出を許可しました。商務長官は、「中国をアメリカに依存させることも重要」と述べ、お互いがカードを適宜切っている状況です。アメリカは中国の構造改革を求めていますが、実際には時間がかかるため、小出しに成果を出しつつ関係を管理する形で進むでしょう。交渉が続く限り暴発はしないと思いますが、交渉が破綻すれば、中国経済のデカップリングが強くなり、同盟国にも中国からの経済的切り離しを求めてくる可能性はあります。
アメリカの交渉は遅々としていますが、全ての規制を解除することはあり得ません。交渉担当者も、中国と無条件な貿易にはリスクがあるという思いがあります。さらに中国は、トランプマニュアルを4年間徹底的に研究し、その対応を巧みに進めています。
その中で、台湾問題は依然として懸念材料です。経済的利益が得られない場合、中国は国際秩序を自国に有利に変えようとする動きをみせています。たとえば、9月の抗日戦争記念式典にトランプを招待する案が浮上しました。トランプが中国の台湾政策を容認するような発言をすれば、中国にとっては外交的大勝利ですが、国際秩序に深刻な影響を及ぼす可能性があります。台湾危機のリスクが高まっているとの見方が強まっています。
5. アジア情勢への影響と同盟国の役割
アメリカと北朝鮮との交渉は、可能性が高いものの具体的な動きはまだ見えません。ただ、実施されても不思議ではない状況です。北朝鮮はウクライナ戦争を通じて、ロシアとの関係を強化しました。後ろ盾を得たことで、北朝鮮はかなり強気な姿勢を取ると予想されます。
韓国は、安全保障面でアメリカに依存(フリーライド)していると見なされており、アメリカから非常に強い圧力を受けています。トランプ2.0の関心は、北朝鮮よりも台湾や中国本土に向いているため、韓国は対米安保に関して厳しい状況に置かれています。
中国はこうした状況を巧みに利用し、漁夫の利を得ようとしています。今年5月に開催されたASEAN・GCC(湾岸協力会議)首脳会談の共同声明では、中国の意向が色濃く反映され、影響力を拡大しようとしていることが窺えます。ただ、中国が国際協力の中心的役割を担う準備は整っていません。それでも仲間を増やしたいために、外交努力を続けている印象があります。
現在のアメリカは、同盟国を「手段」として扱い、対等な立場とは全く見なさずにアメリカ経済への貢献や安全保障の負担を求めています。同盟国は厳しい立場に置かれ、NATOは国防費をGDPの5%に引き上げる目標を掲げました。同盟国は自ら防衛を強化する動きを見せています。トランプ政権からすれば、この動きはありがたく、アメリカに頼るなという方針に合致する展開となっています。全体として、アメリカはアジア重視の姿勢を示しつつも、同盟国への負担増の要求が目立ち、具体的な行動には乏しい状況です。
6. まとめ
トランプ2.0においては、最悪の事態を想定する必要があります。トランプ政権は、これまでの利益配分や政治経済の枠組みを否定し、何より不確実性が高い状況を生み出しています。この状況を正常化バイヤスで捉えてはいけません。
そこで私が強調したいのは、最悪のシナリオを想定する「底線思考」の重要性です。これまでは、グローバル化とアメリカのリベラル覇権を前提にした世界でした。多くの国は地域統合を進めて国家主権を乗り越えていこうとしていましたが、こうした冷戦終結後の構造は崩壊しました。
現在のアメリカは、第二次大戦後の国際秩序すらも否定しています。戦後の国際秩序は、アメリカがどこまで市場開放していくのか、アメリカの多国籍企業の役割、米ドルの力、そして、同盟や核兵器による安全保障を基盤として成り立っていました。しかし、今のアメリカはこれを信じていません。従来の国際秩序を支えているアメリカとは見ないほうがいいでしょう。これまでの国際秩序が急速に崩壊している中、世界はリーダーレス状態に向かいつつあります。
米中交渉や米露関係の行方次第では、大国間協調が生まれる可能性もありますが、逆に交渉が頓挫すれば、経済・安全保障面での競争が激化する懸念があります。こうした状況下で、世界は新しい国際秩序のルールを構築する必要があります。日本は国際社会における秩序設計者としての役割を果たすべきです。
トランプ政権による揺らぎは、40年ぶりに見る日米貿易摩擦以上の大きな地殻変動といえます。従って、企業や組織は、経済安全保障などの国際的な課題に対応する施策を経営課題とし、それに対応するための戦略を考えたり、リスク管理を徹底したりするための知識やスキルを身につける必要があります。地域ごとに異なるリスクへの対応を見極め、正常化バイアスに陥らず、先見性を持ちながら底線思考で備えることが重要です。
〈質疑応答〉
質問A 米国の製造業は復活できますか。スキルを持った労働者が少ないと聞きます。
佐橋 製造業の復活には数年単位の時間が必要です。トランプ政権の4年間でどこまで進めるかは不透明ですが、半導体やバッテリー、エネルギー技術、メディカル、バイオといった最先端分野を重視するでしょう。しかし、これが多くの雇用を生むかは疑問で、スキルを持たない労働者がその分野で働けるかも不確実です。そのため、MAGA支持者の失望に繋がる可能性もあります。しかし、共和党が労働者を重視している姿勢は評価されており、製造業復権のスコープが狭くても支持を集める要因となっています。
質問B 現在の日米関税交渉は、終着点が見えにくい状況です。先生のお考えはいかがですか。
佐橋 日米交渉は厳しい状況です。日本側は交渉開始時に問題を甘く見ており、関税が安全保障に波及しないと考えていました。しかし、トランプ大統領は自動車と農業に強くこだわっており、日本が譲れない自動車の数量規制を求めているため、交渉は停滞しています。トランプの優先事項が変わらない限り、交渉は厳しいと思います。ただし、交渉は続けることが重要です。自動車や農産品を後回しにしつつ、トランプに「成果を得た」と思わせるパッケージを小出しに提示する戦略もあり得るでしょう。
質問C 欧州や日本が防衛費を増加させていますが、国際秩序への影響についてはどうお考えですか。
佐橋 冷戦終結後の軍縮や市民社会の成長とは逆行し、世界は軍拡の時代に突入しています。抑止力の観点から軍拡を正当化するという見方もありますが、軍事予算の増加は好ましい状況とは言えません。今後の課題は、防衛費の増加をイノベーションにどう結びつけるかです。たとえば、デュアルユースの技術やエマージングテクノロジーの開発などに活用し、成長機会を逃さないことが重要になるでしょう。
質問D 国際秩序の崩壊が進む中、企業活動においては、国内市場の拡大が見込まれにくいために海外展開を視野に入れざるを得ない企業が多いと思います。リスクマネジメントのあり方も含めて、留意すべき点をアドバイスしてください。
佐橋 海外展開を恐れてはいけません。日本市場だけに依存すれば先細りは避けられません。ただし、これまでのような自由貿易や安定した国際政治を前提にするのは危険です。自由が制限される国や腐敗が増える中、厳格なリスク管理が求められます。レピュテーションリスクやコンプライアンスだけではなく、各国の政治情勢を注視し、多様なシナリオを想定することが重要です。先述の「底辺思考」を持ち、慎重に対応することが鍵となるでしょう。
質問E アメリカが中国と対抗している中で、アメリカは日本には厳しいことを要求しないのではないかという見方がありますが、どうお考えですか。
佐橋 中国はトランプ政権にとって悪役とされており、中国への対抗上、日本が重要であると考えられる部分はありますが、それを過信するのは危険です。現場レベルでは日本に期待される部分もありますが、地政学的に最前線だからといって、貿易交渉で譲歩を引き出せるとは考えにくいでしょう。1980年代の日米貿易摩擦の際には、日本の地政学的な重要性を理由に交渉を和らげようとする動きもありましたが、現在は官僚主導の時代ではなく、トップレベルの政治が優先されています。唯一の希望があるとすれば、トランプ大統領が個人的に日本に特別な感情を抱いている場合でしょう。