EXPO2025大阪・関西万博 バチカンパビリオン・イタリアパビリオン アンバサダーとして

2025年10-11月号

西本 智実 (にしもと ともみ)

指揮者

2025年6月29日、EXPO大阪・関西ナショナルデーホール〈レイガーデン〉では、バチカンナショナルデーが開催され、静謐な空気に包まれていた会場はやがて鳴り止まぬ拍手に包まれました。
バチカンが万博に参加するのは史上初めてのことで、6月29日は聖ペトロと聖パウロ使徒を祝う特別な日です。
国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿が公式代表としてご臨席され、日本とローマ教皇庁との新たな歴史的交流の幕開けとなりました。

歴史が刻む「最初の対話」

この日、式典で伊藤良孝万博担当大臣に続いてご挨拶されたパロリン枢機卿は、日本とバチカンの関係史における三つの節目を示されました。
・1555年、鹿児島人ベルナルドによる教皇パウルス4世への拝謁から470周年
・1585年、天正遣欧使節による教皇グレゴリウス13世との謁見、シクトゥス5世戴冠式参列から440周年
・1615年、慶長遣欧使節の教皇パウルス5世への拝謁から410周年
これらは、日本とバチカンとの「最初の対話」を象徴する出来事であり、禁教や鎖国の時代を経てもその文化的交流は絶えることなく継承されてきました。その歩みはやがて1942年の国交樹立へと結実し、文化交流の持続性と回復力を示す歴史的実例となりました。
そしてパロリン枢機卿が「平和と安定を求める努力こそが根底にある」とお言葉を強調されたことは、広島、長崎への原爆投下から80年を迎えた本年において、人類の喫緊の課題に深い示唆を与えるものでした。

普遍的価値としての「美」と「希望」

バチカンパビリオンのテーマは「美は希望をもたらす」です。
パロリン枢機卿は、美を「外面的装飾ではなく、魂を揺さぶる神的な美」とし、希望を「誤りに憤り、それを変革する勇気を伴う徳」と説かれました。これは芸術が持つ本質的価値を鮮明に示すお言葉であり、教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』にも響き合うものです。物質的豊かさとこころの豊かさはどのように調和していけるのか? この人類の命題について、私自身も自問を繰り返しています。
現代社会が忘れがちな「美を見出す切実さ」への警鐘は、会場でも深い共感を得て熱く力強い拍手が起こりました。

「記憶と未来を繋ぐ音楽」

式典の後の記念演奏会では、モーツァルト作曲《戴冠式ミサ K.317》を、西本智実指揮、イルミナートフィルハーモニーオーケストラ、イルミナート合唱団、4名のソリスト、ソプラノ周防彩子、アルト大賀真理子、テノール石川太一、バス田中勉、そして長崎、広島、大阪からの児童・学生合唱団を含む総勢約180名の編成で演奏しました。
「未来への祈り」として届けられたこの演奏は、Vatican Newsにより世界に発信されました。
また終演後、バチカンパビリオンのリッカルディ館長からは、「コンサートはすべての人々に消えがたい感動を残しました。『演奏に涙した』との声も数えきれないほど寄せられています。国務長官であるパロリン枢機卿猊下も、子供たちやオーケストラをはじめ、すべての方々の卓越した演奏に深く喜びをもって感銘を受けられました」との書簡が届けられました。
この高い評価をすぐさま参加メンバーと共有し、ここに至るまでの多くの鍛錬を労うと同時に、バチカン、イタリア、万博セクションの様々なスタッフの支えと協力への感謝をお伝えしました。そして、超越した和が生まれました。
唯一無二、やり遂げる力、記憶の媒体を繋げる音楽の力によって、今も無限のエネルギーを生み出しています。

象徴としての「希望のオリーブ」

昨年11月、バチカン国際音楽祭での指揮を終えた翌日、ローマ教皇庁とのEXPOに関する会議がありました。
ここで私は特に、3つのテーマ「安土桃山時代の両国の関係」、「天正遣欧使節のミッション」、「長崎の文化扉」などの歴史的な結びつきを議題にしました。
16世紀、長崎はイエズス会の布教地であり南蛮貿易の要衝でした。当時の日本人が「何を受容し、どのように変容したか」は、私の音楽研究の一つでもあります。
イベリア半島の賛歌が今も長崎に息づき、その歴史的背景を受け継ぐ世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の精神を現代に響かせるため、2013年より毎年招聘されているバチカン国際音楽祭(Festival Internazionale di Musica e Arte Sacra)を通して、サン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro in Vaticano)ミサ、2024年には聖イグナチオ・ロペス・デ・ロヨラ教会(Chiesa di Sant’Ignazio di Loyola in Campo Marzio)ミサで再現演奏を続けています。
そしてEXPO開催に向けた多岐にわたる議論の中で、「希望の象徴」としてオリーブの木をバチカン・イタリアパビリオンに常設する構想も生まれました。現在、そのオリーブの木は来場者が触れ、平和を願う場として息づいています。

民間外交としての音楽の力

私は、2024年1月に在日本イタリア大使館にて「イタリアパビリオン アンバサダー」、同年6月にローマ教皇庁より「バチカンパビリオン アンバサダー」に任命されました。以降、両国スタッフと連携し、EXPO開催の文化芸術における可能性について協議を重ねてまいりました。
そして8月には、イタリア館オーディトリウムと、パビリオン正面に常設されたスクリーンライブにより「天正遣欧使節コンサート」、パビリオン劇場では「アントレプレナーシップ・コンサート」をオーガナイズし、またバチカン、イタリア、更にポルトガルのアカデミー学術研究機関のご協力によるプログラムが、8月9日の「長崎の日」に開催となりました。
これらのプログラムでは、長崎県生月島で約450年歌い継がれてきたグレゴリオ聖歌や、天正遣欧使節が演奏し、または聴いたであろう当時の音楽を再構築した演奏が披露されました。また、ヴェネツィアの巨匠ドメニコ・ティントレットによる伊東マンショの肖像画を元に復元された衣装展示との連動も行われ、音楽を通じて記憶と未来を結び直す文化的実践となりました。
更に説明を加えるなら、天正遣欧使節は1582年に長崎を出発し、リスボン、ローマ、フェッラーラ、ヴェネツィアなどイタリア主要都市を巡り、1590年に帰国しました。彼らの旅は、少年たちが「未知への挑戦と異文化との出会い」を日本にもたらした歴史的事例です。

国際比較に見る文化外交の意義

文化外交は単なる芸術活動にとどまらず、国際関係における戦略的資産です。
フランスの「Institut Français」、韓国のK-POP、中国の「孔子学院」など、各国は自国文化を外交資源として展開しています。
日本人である私が「バチカン」「イタリア」のアンバサダーとして取り組むとき、常に念頭においていたのは、万博のテーマにふさわしい内容と質を追求すること、そして3カ国のスタッフとチームワークで仕事を連携することでした。それは芸術文化そのものが人類の平和希求の歴史であると、改めて実感させられるものでした。
EXPO2025はパビリオンを通じ、歩んできた歴史の重さや異なる視点を文化芸術として触れることができる場であり、開催国日本が「記憶の継承」と「未来志向」を相互双方向から示す新しい総合芸術を目指し、また、科学と文化芸術を通じた国際対話の場を提供し、国際社会において長期的な信頼を醸成し、持続可能な平和を築く場として機能してゆくのが万博であると考えています。

文化芸術が紡ぐ未来

バチカンパビリオンのテーマ「美は希望をもたらす」、イタリアパビリオンのテーマ「芸術は生命を再生する」。これらを音楽と芸術を媒介に具体的体験へと昇華させることを目指しました。
“音楽は過去の記憶を呼び覚まし、未来への希望を重ね合わせる”
EXPO2025大阪・関西万博は、「平和的国際関係の持続を可能にする」ための場として、現在その役割を果たしています。そしてその意義は、万博終了後も未来に向けた新たな希望と信頼を築く礎となるでしょう。

著者プロフィール

西本 智実 (にしもと ともみ)

指揮者

世界約30か国の各国を代表するオーケストラ・名門国立歌劇場・国際音楽祭より招聘。
大阪音楽大学客員教授、ビューティー&ウェルネス専門職大学客員教授、大阪国際文化大使他。
『高野山開創1200年記念法要』、『ラクイラ音楽ホール落成コンサート』、『日ブラジル外交関係樹立120周年』、北京大劇院における『日中平和友好条約締結40周年』など歴史的演奏会に招聘、また2013年より「バチカン国際音楽祭」より招聘されている。
Fondazione pro Musica e Arte Sacra名誉賞、芸術監督としての舞台演出・指揮『泉涌寺音舞台(2015年)』『東寺音舞台(2023年)』は国際賞を複数受賞。
令和6年度 文化庁長官特別表彰など受賞多数。
日本を代表する芸術家として、ドキュメンタリー番組がCNNインターナショナル、ZDF、独仏共同テレビArteなどで放送・配信。
EXPO 2025 大阪・関西万博、ローマ教皇庁パビリオン/イタリアパビリオンのアンバサダーを両国政府より任命。
バチカンパビリオンのテーマ〈美は希望をもたらす〉のもと、バチカンナショナルデー公式催事コンサートをオーガナイズし、VATICAN NEWSを通じて世界に配信された。
さらに、イタリアパビリオンのテーマ〈芸術は生命を再生する〉に基づき、「天正遣欧少年使節が奏でた 音楽と祈りのコンサート」および「アントレプレナーシップ・コンサート」をプロデュース。