明日を読む

植田日銀前半戦の実績評価

2025年12-2026年1月号

早川 英男 (はやかわ ひでお)

元日本銀行理事

植田和男氏が23年4月に日銀総裁に就任して2年半が過ぎた。総裁任期5年の折り返し点を超えたことになるが、この間の日銀の実績をどう評価すべきだろうか。筆者自身は、植田日銀の金融政策正常化は大胆さと慎重さの両面を併せ持つものだったと感じている。
大胆さという面では、黒田東彦前総裁の異次元金融緩和の副作用の中でも最も是正が難しいと考えられていた問題に果敢に挑戦していった点が挙げられる。まずは長期金利に上限を画するイールドカーブ・コントロール(YCC)。これを撤廃すると長期金利が急騰して金融市場が大混乱に陥ると心配されていたが、市場が政策変更を予想していなかった23年10月に、長期金利の上限を「目処」に置き換えることで実質的に形骸化した。市場の盲点を突くややトリッキーな手法ではあったが、大きな混乱なくYCCを実質的に終了させた手腕は見事だった(YCCの正式な廃止は翌年3月)。
もう一つは、上場投資信託(ETF)の売却をスタートさせたことだ。こちらも株価下落に繋がることが懸念されていたが、この夏の株価上昇局面を捉えて売却開始を決断した。株価は、ETF売却が公表された当日こそ一時下落したが、その後速やかに上昇に転じた。日銀のETF売却計画が公表されたことで、むしろ将来リスクが軽減されたと市場は受け止めたようだ。
このように、困難な政策転換に積極的に立ち向かう一方で、政策転換を進めるスピードに関しては慎重さが目立った。上記のETF売却が株価の下落を招かなかったのも、「ETFの売却完了には100年以上掛かる」という極めてゆっくりした処理計画が大きく影響したことは周知の通りだろう。また、日銀が発行残高の過半を買い占めてしまい、市場機能の低下が問題視されていた長期国債についても、この春に30年債などの超長期債の利回りが急騰すると、もともとゆっくりだった日銀の国債保有削減スピードをさらにスローダウンさせた。これらを踏まえると、異次元金融緩和で膨張した日銀のバランスシートの規模の正常化には恐ろしく長い時間が掛かると考えざるを得ない。
正常化のスピードの鈍さという点では、政策金利の引上げも全く同じである。24年3月にマイナス金利が解除されて利上げが進められてきたが、インフレ率が物価目標の2%を超える状態が3年半も続いているのに、本稿執筆時点の政策金利は未だ0.5%、実質金利は大幅なマイナスだ。トランプ関税に伴う不確実性が低下していけば、遠からず利上げは再開されるとみられているが、こうした日銀の慎重姿勢が過度の円安と物価高を招いているという事実は否定しがたい。日銀は「基調的な物価上昇率は2%以下」と繰り返すが、その根拠は定かでなく、説明責任の面でも問題が残る。
とは言え、過去2年半を全体としてみれば、心配されていたような大きな混乱を招くことなく、金融政策の正常化は徐々に進められている。物価高は何故か政府の責任となっており、日銀が責任を強く問われている訳ではない。植田日銀の前半戦の実績は及第点と評価してよいだろう。
問題は後半戦だが、差し当たり政策金利をどこまで引上げるかが大きなテーマとなる。形式的には「景気・物価を過度に押し上げることも、押し下げることもない中立金利を目指す」ということになるが、中立金利の水準はよく分らない(日銀の推計値は1.0~2.5%と極めて幅広い)。結局、利上げを進めながら中立金利を探っていくほかあるまい。
もう一つ気になるのは国債市場の動向である。政治の不安定化がバラマキ政策を通じて長期金利の上昇圧力として意識されている。しかも、これは日本だけの現象ではなく、米国や欧州でも財政の悪化が大問題(場合によっては国債の格下げリスク)となっている。日銀は低金利、低インフレが当たり前だった時代とは大きく異なる国際環境にあることを強く認識する必要があろう。

著者プロフィール

早川 英男 (はやかわ ひでお)

元日本銀行理事

1954年愛知県生まれ。東京大学経済学部卒業、プリンストン大学経済学大学院でM.A.取得。1977年日本銀行入行、その後、調査統計局経済調査課長、調査統計局長、名古屋支店長などを経て、2009年3月より2013年3月まで日本銀行理事。日本銀行在職中は、調査統計局長(2001年~2007年)を含め20年以上をリサーチ部門で過ごし、マクロ経済情勢の判断などに携わった。富士通総研経済研究所エグゼクティブフェローを経て、2020年5月より2025年3月まで東京財団政策研究所主席研究員。著書には第57回エコノミスト賞を受賞した「金融政策の『誤解』」(2016年、慶應義塾大学出版会)などがある。