『日経研月報』特集より
日立製作所が挑む、共創型イノベーション ~市民参加とデジタルで築く人中心の社会~
2025年12-2026年1月号
1. はじめに
日本の地方都市は、人口減少、少子高齢化、産業構造の変化など、複合的な課題に直面している。こうした状況下で、持続可能な地域社会の実現に向けて、デジタル技術を活用し、都市機能の最適化や住民サービスの質的向上を図るスマートシティ構想が注目されている。その実現には、地域特性の的確な把握と、多様なステークホルダーとの連携が不可欠である。
株式会社日立製作所(以下、日立製作所)は、社会課題の解決を通じて持続可能な社会の構築をめざし、茨城県日立市と「次世代未来都市(スマートシティ)」の共創プロジェクトを推進している。本稿では、この取組みをモデルケースとして、社会課題解決型事業の背景、意義、具体的なアプローチについて論じる。
2. 地方創生・地域活性化推進における課題
日本における人口減少と少子高齢化は、地域社会の活力低下、インフラの老朽化、医療・福祉サービスの負担増加など、深刻な影響を及ぼしている。これらの課題に対応し、持続的な地域発展を実現するには、産業競争力の強化と住民のウェルビーイングの向上が不可欠である。産業競争力の向上は地域経済の活性化や雇用創出につながり、ウェルビーイングの向上は生活基盤の質的向上を通じて、住民満足度と社会の持続可能性を高める。
また、労働人口の減少が進む中、従来の画一的なインフラ整備や経済施策では地域の多様なニーズに対応しきれず、今後は地域特性や住民の生活スタイルに応じた柔軟で持続可能なインフラ設計とサービス運用が求められる。
3. 企業の役割の変化
このような環境変化は、企業に求められる役割にも影響を与えている。日立製作所は、「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という企業理念のもと、長年にわたり社会インフラや産業界にソリューションやサービスを提供し、顧客の課題解決を支援してきた。その実績により、「顧客の共創パートナー」としての地位を確立している。
しかし、地域社会が直面する複雑な課題に対応するには、企業は単なる技術提供者にとどまらず、「社会との共創パートナー」としての役割を果たす必要がある。すなわち、地域の課題をともに発見し、持続可能な解決策を協働で創出する一員として、自治体や住民と信頼関係を築きながら歩むことが求められる。
また、自治体や住民、関係企業との信頼関係を築きつつ、持続的な地域運営と事業発展をめざすには、単なる利益追求やCSR活動にとどまらず、事業活動を通じて社会的課題に持続可能な解決策を提供し、企業としての経済的価値も同時に創出する「社会課題解決型事業」の開発が重要である。このような事業の実現には、自治体や企業だけでなく、市民を含む多様なステークホルダーとの共創が不可欠であり、文化・風土の醸成、政策提言、制度設計にも寄与することで、持続可能な社会づくりと経済発展を牽引する役割が期待される。
4. 社会との共創を通じた課題解決の実現に向けて
前述のとおり、社会との共創を通じて社会課題解決に取り組み、持続可能な社会と経済活動を実現するために、大きく①ビジョン形成とシナリオ設計、②市民参加の促進、③データに基づく効果的な施策立案やサービス運用、の3つの視点が必要となる。以下、それぞれについて説明する。
① ビジョン形成とシナリオ設計
自治体・企業・市民が協力して課題に取り組んでいくにあたり、まず「どのような社会をめざすのか」というゴールビジョンを明確に描き、それを関係者全体の共通の目標として共有し、共感と合意を得ることが出発点となる。
そのビジョンの実現に向けては、「どこから着手し、何を実行していくのか」というシナリオを、ビジョンからのバックキャストで丁寧に設計することが重要である。ただし、その過程において、参加者それぞれが重視する価値観や関心領域が異なることは自然なことであり、一定の多様性を許容することも重要である。なぜなら、自治体は公平性を重視、市民は自身の利便性を重視、企業は自社の経済性を重視、と各々が異なる価値観を有するため、各自が納得感や利得を感じられなければ、主体的な関与を得ることが難しくなるからである。
したがって、最も重要なのは、関係者全員が「自分もこの社会を実現したい」と思えるようなビジョンに共感し、各々の役割を理解し、それに合意することである。その共感を基盤とした共創活動こそが、地域の実情に即した事業展開を可能にし、結果として環境・社会・経済の三価値の調和に寄与する。
② 市民参加の促進
社会課題の解決には、行政や企業だけでなく、市民一人ひとりの積極的な参加が不可欠である。特に今後は、行政主導だけでは対応に限界があり、市民自身が主体的に政治や経済活動に参加していく姿勢が求められる。「自助」や「公助」に加えて、自治体・企業・市民が一体となって連携し合う「共助」こそが、地域社会において最も重要な要素である。
市民参加を実効性のあるものにするためには、いくつかの仕組みが重要である。まず、「市民が声を発しやすくする仕組み」の整備により、誰もが自分の意見や要望を気軽に発信できる環境を作ることが大切である。この実現にあたってはコミュニティセンタやワークショップ開催など物理的な場所・機会に加えて、SNS等を通じた情報発信や双方向コミュニケーションなど、市民一人ひとりが気軽に意見を表明し、政策形成に参画できる仕組みも必要となる。これらの仕組みは、自治体や企業が市民の声に傾聴し、施策やサービスに反映させる手段としても有効と言える。また市民の積極的な活動を促進するための「仲間集めや準備がしやすい環境」が求められる。これには分散型自律組織(Decentralized Autonomous Organization:DAO)や地域通貨などのデジタル技術の導入が期待できる。意思決定の透明性を高め、地域通貨やトークンを活用した報酬・インセンティブ設計により、持続可能な市民参加型の活動を促進することが可能となる。
ここで留意すべきは、市民参加の促進にあたっては、参加者の善意が搾取されることのない仕組みの構築が絶対に必要だという点である。住民の自発的な貢献やコミュニティへの思いが、持続的な地域活性化の原動力となる一方で、その善意が一方的に利用されることのないよう、参加者の合意のもと、権利や報酬、適正な負担の配慮を徹底しなければならない。市民参加を持続させるスキームづくりこそが、未来のまちづくりのキーファクタとなる。
③ データに基づく効果的な施策立案やサービス運用
これまでの地方政策や公共サービスの多くは、過去の経験や慣習に基づいた施策立案と運営が中心であった。しかし、人口動態や地域環境が急速に変化する現代においては、従来の手法だけでは変化に十分対応できず、期待される成果を得ることが難しくなっている。
加えて、これまでは全国一律のサービス提供が一般的であったが、労働人口の減少やインフラの老朽化、財政制約の強まりといった状況の中では、地域ごとの人口構成、産業構造、地理的条件などに応じた柔軟な対応が求められている。たとえば、過疎地域では公共交通や医療サービスの効率的な配置が課題となり、都市部では交通混雑の緩和やエネルギー消費の最適化が重要なテーマとなる。
このような地域ごとの課題に的確に対応するためには、地域に蓄積される多様なデータを活用し、住民のニーズや行動パターンを把握・理解したうえで、その地域の特性を踏まえたサービス設計を行うことが不可欠である。
データに基づく意思決定は、従来の経験則や主観的判断に比べて、より根拠に基づいた最適化を可能にし、都市や地域の持続可能性を高める効果が期待される。さらに、交通、エネルギー、福祉、環境などの多様な分野において、リアルタイムのデータを活用することで、客観的かつ柔軟な計画立案や運用の効率化が実現可能となる。
たとえば、地域公共交通の維持においては、移動する市民に対して、バスやタクシーの運行状況や病院など目的地の混雑状況をリアルタイムで提示することで、需要と供給のバランスを最適化できる。これにより、市民の利便性を高めると同時に、運用コストの効率化も図ることができる。
このような取組みを実現するためには、即時性と高精度を兼ね備えたデータ収集技術の導入や、個人情報保護に関する制度設計などの技術的課題への対応が求められる。また、関係する多様なステークホルダーとの連携や合意形成、さらにはデータ共有に向けた信頼関係の構築も不可欠である。これらの推進は容易ではないが、都市の持続可能性を確保するためには、データに基づく政策形成と運用の実現に向けた挑戦を積極的に進めていくことが重要である。
5. 持続可能な社会実現に向けた資源循環によるマネタイズ
持続可能な地域社会の実現に向けては、活動を支える原資の確保、すなわちマネタイズの仕組みが極めて重要である。前述のとおり、データに基づく施策立案や運用の効率化によって、投資や運営にかかるコストを抑制することは可能である。しかし、これまでの地方行政においては、「やってみなければわからない」という姿勢のもとで施策が立案され、結果として効果が不十分な施策や、利用が進まない施設(いわゆる“箱モノ”)が整備されてしまう事例が散見されたのも事実である。
今後求められるのは、まず「どのような社会をめざすのか」という明確なビジョンを起点とし、そのビジョンに照らして施策の妥当性を評価することである。さらに、データに基づいて「その施策が本当に効果的かどうか」を検証し、加えて、日常的に収集される「市民の声」に傾聴することで、施策が地域に受け入れられ、根付くものであるかを見極めるプロセスが不可欠となる。このようなアプローチにより、計画段階での施策の適否を判断できるとともに、運用段階においても市民や利用者のニーズに即した柔軟かつ効率的な対応が可能となる。
この結果、企業にとっては費用対効果の最大化が図られ、自治体にとっても資源配分の適正化を図ることができる。さらに、こうして適正化により確保された費用は、次なる施策への再投資に活用することが可能となる。たとえば、新たなサービス導入までの過渡期においては、デジタル技術の利用に不慣れな高齢者への支援体制を強化するなど、きめ細やかな対応が可能となる。
加えて、新たな施策の展開によって地域の産業力やブランド価値を高め、それを他地域に発信することで、新たな産業の創出や雇用機会の拡大にもつながる。このように、「ビジョンに基づく施策の選定」、「データに基づく効果検証」、「市民の声の反映」という三位一体の取組みを循環させることで、持続可能な地域社会の実現が可能となるのである(図1)。

6. 日立市と日立製作所による「次世代未来都市」共創プロジェクト
日立製作所は、Society 5.0の実現をめざし、すべての住民が安心・安全かつ豊かに暮らせる「サステナブルなまち」の構築に向けて、茨城県日立市と2023年12月に包括連携協定を締結した。この「次世代未来都市(スマートシティ)」共創プロジェクトでは、デジタル技術を活用し、地域課題の解決と持続可能な地域社会の構築の両立を目的としている。
日立市は、東は太平洋、西は阿武隈山系に囲まれた南北に細長い市域を持つ茨城県北東部の都市である。人口は約16万6千人(令和6年4月時点)で、全国的な傾向と同様に少子高齢化が進行しており、老年人口の割合は34.6%に達している。産業構造では第2次産業が約37.3%と、全国平均(23.7%)を大きく上回り、「ものづくりのまち」として地域経済の基盤を形成している。一方で、同市のCO2排出量の68%が産業部門からの排出(2019年時点)であり、環境面での課題も抱えている。
日立製作所は創業以来この地で発展してきており、主要な工場や研究施設など10以上の重要な関連施設を有している。110年以上にわたる日立市との深い関係を背景に、地域の未来をともに描くパートナーとして連携を強化している。
本プロジェクトは、以下の3つの重点テーマを軸に展開されている。
1)グリーン産業都市の構築
地域の脱炭素化を推進するため、再生可能エネルギーの地産地消や中小企業の脱炭素経営支援を実施。産学金官連携による「日立市中小企業脱炭素経営促進コンソーシアム」の設立、CO2排出量の見える化、EVリースの導入などを通じて、地域産業の持続可能性を高める。
2)デジタル医療・介護の推進
「住めば健康になるまち日立市」の実現に向けて、医療・介護データの共有基盤を整備。オンライン診療や個人健康記録(Personal Healthcare Record:PHR)の活用により、住民の健康維持・増進、疾病予防、介護負担の軽減を図る。
3)公共交通のスマート化
誰もが移動しやすい交通環境の実現をめざし、2035年の「交通のあるべき姿」を描いたグランドデザインを策定。デジタル技術を活用した移動の最適化、次世代モビリティの導入、シームレスな移動手段の提供などを検討している。
これらの取組みの実現に向けて、自治体・企業・市民が一体となり、地域の特性を活かした都市づくりを進めている。全国の地方都市にとっての先進モデルとなることをめざし、関係ステークホルダーとの合意形成のもと、持続可能なまちづくりを推進している。
具体的には、プロジェクト全体および各テーマにおいて「将来ビジョン」を掲げ(図2)、日立市報やWebサイト、地域イベントなどを通じて関係組織や市民に発信し、共感の獲得と次の施策への意見集約を行っている。また、地域の大学や企業と連携し、「将来のくらし」に関するワークショップを実施。若者の意見を中心としたまちの姿のコンセプト立案や、市民参加のスキームづくりも進めている。

https://www.city.hitachi.lg.jp/kyoso-project/aboutus/1016983/index.html
さらに、医療や交通分野では、市民の健康データや地域公共交通の運行状況を集約し、現状の可視化や課題の把握を開始している。今後は、これらの分析に基づき、市民や地域に根差したより適切なサービスの実現へとつなげていく。
7. まとめ
日立製作所と日立市の取組みは、単なる技術導入型のスマートシティではなく、データに基づく地域特性に応じた施策と市民参加を重視した「人中心の社会」実現に向けた新たなモデルの実現をめざしている。持続可能な社会の実現においてはその中心となる市民とともに作り上げることが重要であり、今後はここで得られたノウハウやデジタル技術活用の知見を他地域や全国へ展開し、日本全体の地方創生・地域活性化、さらには産業力強化と経済発展に貢献していく。
こうした「社会との共創」を通じて、多様なステークホルダーと連携し、環境・社会・経済価値を同時に実現する課題解決型事業の創生により、持続可能な社会の実現をめざすことが、今後求められる社会イノベーションになると考える。
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