「起業家が創り出す新しい未来」第10回
多様性を価値に変える挑戦 ~インクルーシブデザインが拓く、これからの日本のものづくり~
2025年12-2026年1月号
原点は、脳性まひのある息子との生活で気づいた「見えない分断」。トヨタ自動車で培ったものづくりの知見と、障害児の母という当事者視点を掛け合わせ、インクルーシブデザインの社会実装に挑んでいます。
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| 組織 | 株式会社Halu |
| オフィス | 京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2 京都芸術センター 北館3F 2号室 |
| 設 立 | 2020年4月 |
| HP | https://ikoudesign.com/ja/ |
(2025年10月現在)
「ものづくりには、社会を前進させる力がある」。そう信じて、トヨタ自動車で10年間、商品企画に没頭していました。世界中の人々の暮らしを豊かにする車を届けることに、やりがいと誇りを感じていたのです。
しかし、息子の脳性まひが判明し、私の世界は一変しました。息子との生活を通じて、これまで「当たり前」と思っていた日常のあらゆる場面に、健常者と障害者を隔てる「見えない壁」があると気づいたのです。
世の中の多くのプロダクトは健常者を前提に設計されています。例えば、一般的なベビーカーやキッズチェアは、体幹が弱く一人で座れない息子には使えませんでした。一方、障害児向けの福祉機器は機能性に特化し、選択肢が極端に限られています。こうした「選択肢のなさ」が当事者に妥協を強いることで諦めを生み、安心して過ごせる場所以外への外出をためらわせる。その結果、障害者とその家族の存在が社会で見えにくくなっている――この構造を、当事者として痛感しました。
「自分もまた、作り手として無意識のうちに誰かを排除していたのではないか。」
この自省に近い気づきが「ものづくりの経験を持つ当事者だからこそ、この課題に向き合う使命がある」という確信へと変わり、2020年、Haluを創業しました。
私たちの最初の実践は、障害の有無にかかわらず使える「IKOU(イコウ)ポータブルチェア」の開発です(写真1)。外出先に息子が座れる椅子がないために、気軽に外出できない――そんな私自身の切実な困りごとを出発点に、障害児家族へのインタビューと試作を重ねて形にしました。目指したのは、姿勢を支える機能性と、誰もが使いたいと思える携帯性・デザイン性の両立。「行ける場所」しか選べなかった家族に、「行きたい場所」へ出かける自由を届けることです。
発売後には、「障害のある娘と普通に一緒に座って外食できたことが本当に嬉しかった」といった声が次々に届きました。レストランでの外食、スポーツ観戦、旅行――当たり前の日常を、当たり前でなかった家族のもとに届けることができたのです。

私たちは、この製品を福祉機器ではなく「インクルーシブなキッズチェア」として開発し、市場を拡大。量産効果により販売価格を約85%抑え、補助金に依存しないビジネスモデルを構築しました。その結果、「あらゆる子どもを歓迎するシンボル」として、全国110カ所以上のスタジアムや飲食店等で導入されています(2025年10月末時点)。
この実践が証明したのが、「インクルーシブデザイン」の力です。障害者や高齢者など、従来の設計では見過ごされがちだった人々のニーズに着目し、当事者とともに解決策を形にするアプローチ。まだ社会に知られていない切実なニーズを起点にすることで、当たり前とされてきた設計が見直され、誰にとっても使いやすい“新しいかたち”が生まれます。
こうした取組みは多くの共感を呼び、スタイやキッズウェアを含むIKOUブランドの各プロダクトは、グッドデザイン賞や内閣府「バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰」など、各方面で評価をいただきました。
特に、DBJスタートアップアクセラレーションアワード2024では、「人口が減少し、多様性が増す日本社会において、個々のニーズを起点に考えるインクルーシブデザインは今後ますます有用になる」、「障害のあるお子さんだけでなく健常なお子さんも対象とすることで製造コストを抑え、流通も広げられる、持続性のあるビジネス」と高く評価されました。この受賞は、私たちの理念と取組みを社会が受け止めてくれた証であり、大きな励みとなりました。
この期待を力に、Haluはインクルーシブデザインの社会実装をさらに加速させていきます。世界に18.5億人いると言われる障害者ですが、そのインサイトを事業に反映できている企業はわずか5%(RETURN ON DISABILITY 2020 Annual Report:The Global Economics of Disability)。私たちの強みは、プロダクト開発で培ったインクルーシブデザインの実践的なノウハウと、100名を超える障害児家族を中心としたモニターコミュニティ「IKOUインクルーシブパートナー」の存在です(写真2)。彼らのリアルな声を企業や自治体と共有し、共創を通じて「ともに使えるプロダクト・サービス」の新たな市場を開拓することで、多様な人々の交流機会を生み出すことを目指しています。

インクルーシブデザインは、単なる開発手法やCSR活動ではなく、企業の成長を支える「OS」です。つまり、どんなパソコンもOSなしには動作しないように、これからの事業を生み出すには、多様なユーザーの視点を前提に設計されなければ成立しません。人口減という避けては通れない課題を抱える日本社会において、無意識のうちに排除されてきた人たちがいることを認識し、彼らが消費者や働き手として経済社会活動に参加できる環境を整えていくことは、企業にとって、競争力を高め、持続性と社会的信頼を両立させる鍵となります。
実際に、Haluが提供する研修プログラムへの照会も増えており、新規事業開発や商品・サービス企画、DEI推進などの領域でも、インクルーシブデザインの考え方やプロセスを体験的に学びたいという企業の関心の高まりを実感しています。阪急電鉄様との「駅や駅を取り巻く街のあるべき姿の検討」プロジェクトでは、子育て中のご家族へのインタビューや行動観察を通じて、データからは見えてこない心理的なバリアを可視化。見過ごされがちな障害児家族の視点も含めた「切実な願い」が特別な配慮ではなく、より多くの人にとって利便性を向上させる「本質的なインサイト」へとつながったのです。何より、社員の皆様が当事者視点を“自分ごと”として体感することが、全社を巻き込むプロジェクトの強い推進力となっていくことを実感しました。
誰かの困りごとから生まれる気づきが、みんなの喜びや新しい価値につながる社会を目指して。誰もが“行きたい”をあきらめない未来を、インクルーシブデザインの実践を通じて、皆さまとともに形にしていくために、これからも全力で挑戦を続けてまいります。
スタートアップ(旧女性活躍) 