World View〈アジア発〉シリーズ「アジアほっつき歩る記」第114回

中国浙江省 日本とのつながりが深い寧波

2026年2-3月号

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

前回は揚州美食旅の報告をしたが、今回は寧波(浙江省)をご紹介したい。揚州同様、留学以来39年ぶりの訪問となった街ではあるが、寧波に良い思い出はなく、今回はリベンジの旅となった。なお日本ではこの街を寧波(ニンポー)と呼んでいる。

寧波と日本

寧波は浙江省沿海部にある世界有数の港湾都市で、元々大運河の南の起点。寧波商人は海運の他、銭荘(両替・金貸し業)などで財を成し、19世紀半ば以降、新興の街上海へ流れていって一大商人集団を作っていく。川沿いには銭業会館も保存されており、上海の繁栄にも大きく寄与し、更に食の世界でも上海料理の原型に寧波料理が強く影響していると思われるのは、何とも興味深い。現在でも上海の外灘のように、西洋風建築や教会などが少し残されている。
川を眺めていると「海上茶路啓航地」という大きな碑があった。明州(寧波)より、茶が東南アジアへ輸出されていった、と書かれているが、これはいつの時代の話しだろうか。一方この碑の説明には、唐代に最澄がこの港から茶種を日本に持ち帰ったともあり、比叡山の日吉茶園に繋がっている。その先には「道元禅寺入宋記念碑」という碑も置かれ、鑑真も唐代にここから日本へ渡っており、寧波は中国の玄関口、日本との繋がりは驚くほどに深い。
寧波博物館にも鑑真から始まり、最澄、栄西、道元、雪舟、朱瞬水、そして円覚寺の無学祖元、建長寺の蘭渓道隆など僧侶や文化人の詳細な説明があり、これだけみても日本との関係が浅いはずもなく、明治期に日本に渡った人々も少なくはない。日本に留学後アメリカで医者になった中国人女性もいたとある。

古刹を訪ねる

39年前に行けなかった郊外の古い寺に行ってみた。今や寧波も地下鉄が通り、途中までそれに乗り、そこから車を呼んで天童禅寺まで20分ぐらいかかっただろうか。最後の方で山路を入ると古刹へ向かう雰囲気が出てきて、何となく小雨が降る中、天童禅寺に到着。観光客は観光車に乗って寺へ登るらしい。

折角なので風情を楽しむために傘をさして上り坂を行く。ゆっくりと味わいながら歩きたいと思わせる雰囲気がそこにあった。涼しい風がほのかに吹く中、人が少なく静かな参道を上るのは何とも心地よい。傘で手がふさがっており、写真も撮れないのが尚よい。前回もしここに来ていたなら、どんな風景が広がっていたのかと想像するのもまた楽しい。
約20分で仏塔が見えてきて何とか寺までやって来た。今から1700年ほど前に出来たという寺の紹介には日中の名僧の名前が沢山出てきて、往時は日本人僧侶の憧れの地であったことがよく分かる。まばらな観光客に交じり、雨を避けながら歩いていると向こうから僧侶がゆっくりとやってくる。その静けさの中の所作がたまらなくよい。久しぶりにお寺に来た、という感覚になる。山に囲まれた古びた建屋、大仏殿を拝みながら奥へと進むと、如何にも禅寺といった趣がある。
寺から離れて、山の中に建つ仏塔に向かう。千仏塔の説明には栄西が59名の僧と共に日本から巨木を運んで建立したとある。その塔は明代に消失してしまったが、この辺にも日本との関係が窺われる。現在でも修行の場に相応しい佇まいと言える。往時この地はかなりの文化水準を誇り、中国でも一流の地だったことが感じられる。
次に行ったもう一つの有名寺院、阿育王寺は39年前も訪れていたが、大きく変貌しており、寺の入り口すら分からず、記憶とはまるで違っていた。文革で寺が破壊に遭い、修復もままならなかったが、2000年頃大改修があったらしい。中国の寺の中には、歴史的なスペースをテーマパークのように使って風情が無くなっているところもあるが、ここはまだマシな方だろうか。真新しい建物をサラッと見学して市内へ戻った。

寧波の美食

寧波に来たら、焼きそばを食べてみようと思っていた。戦前、東京神田神保町付近に中国料理店があり、その多くは寧波出身の料理人、経営者だったと知り合いから聞いていたからだ。今も神保町に残る老舗数店は寧波人経営らしいし、そのあんかけ焼きそばも神保町で食べられていたが、中国で揚げ麺にあんかけが乗った焼きそばを食べた記憶はなかった。
海鮮麺などの店が集中している地区まで歩いてみたが、残念ながらあんかけ焼きそばを見つけることは出来なかった。代わりに海鮮炒麺、しかも麺の代わりに年糕(餅)を入れた焼きそばを食べることが出来た。留学中には上海でも日本食などなく、餅が食べられるだけで喜んだ記憶が蘇る。勿論それは日本の餅とは少し違うが、出来上がった焼き年糕は、実にその味付けが美味かった。日本人好みの麺類?ということだ。
もう一軒寧波名物の海鮮麺「黄魚麺」を食べてみる。この麺、凄く具材が詰まっていて、椀からはみ出している。魚以外にエビ、貝、白菜などがのり、スープは白湯であろうか。とにかく海鮮の味がしみ込んでいて実に美味しい。全部はとても食べられないだろうと思っていたが、気づけば完食していた。店は常に満席だったから地元民にも支持されている。港町寧波で海鮮は必ず食べるべき物なのだろう。
最後にどうしても食べたいものがあり、宿から一番近くの食堂へ向かう。メニューなどない、その場で素材を見て調理法で注文するシステムで迷ったが、「魚羹」、ついでに「紅焼肉」も頼んで席に着く。予想通り、当然一人では食べ切れない量だったが、食べたいのだから仕方がない。このとろみのある優しいスープに何とも言えない味わいを感じる。小椀で何杯もお替りしたが、結局残した。それでも悔いはなかったが、もう若くはないことも実感した。

著者プロフィール

須賀 努 (すが つとむ)

コラムニスト・アジアンウオッチャー

東京外語大中国語科卒。
金融機関で上海留学、台湾2年、香港通算9年、北京同5年の駐在を経験。
現在は中国を中心に東南アジアを広くカバーし、コラムの執筆活動に取り組む。